およそ20年前のこと。
不確定性原理というものを知りたくて、熱心に量子力学の解説本を読んでいました。こまかい内容までは理解できなかったことは言うまでもありません。ただ、一つだけ驚いたことは量子的な見方では「実在は実在はでない」ということ。観測者が「観察」という行為をすることによって実在するのであり、その行為がなければ「実在」しないということ。
昨日の「歴史とは何か」のからみでいえば、純粋なる「客観」「客体」は存在しないということになりますね。
これ、ニールス・ボーアとアインシュタインという、物理学者の論争にまでなったことです。
ボーア
「それは私の観測によって創造された実在体験なのだ。私がみるまではそれは存在しなかったのだ。」
アインシュタイン
「それは実在する粒子であって隠れた秩序にしたがっている。ただわれわれがその完全な秩序をしらないだけなのだ。」
と、こんな具合です。この論争の決着はついたのか未だつかずなのかわかりません。この論争はまるで「認識論」の世界です。哲学のようですが、正真正銘の量子物理学の範疇での論争です。ある実験結果を巡っての論争なのです。
学問の世界とは、実に面白い。そして恐ろしい。果てがないように思えるから。
この認識論についてのつながりはまた明日。
今日はこれまで。
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