人気の投稿
-
1990年代初頭の映画「メンフィスベル」です。 『無傷の"メンフィス・ベル"で最後の任務に飛び立つ、若き戦士たちの運命は…!』 1943年。イギリスの米軍基地は、ナチス・ドイツへのB-17による危険な白昼攻撃を繰り返していた。そんな中、その白昼攻撃を最後の任務...
-
内田樹がネットの情報と、新聞の情報を比べて、ネットの情報は自ら望むものしか見る事ができないが、新聞の情報はそうではないものまで見る事ができるというようなことを書いてました。確かに新聞は拡げるだけで、様々な情報があって取捨選択しますからね。そんな過程、ふと目にとまる記事から思わぬ...
-
12月1日 日本人とは驚嘆すべき国民である! こう日記に書いたのは、エルヴィン・フォン・ベルツ。草津温泉を世界中に知らしめたベルツ博士と言えば有名でしょう。 明治9年、 来日して半年後の事です。11月29日夜半に日本橋から築地に至る一体が大火に見舞われ、1万戸以上が灰燼に帰して...
2011年1月3日月曜日
歴史への愛着
本日(3日)付の日経1面記事についてです。「三度目の奇跡」というシリーズものです。
「開戦前、焼き捨てられた報告書」「現実を直視、今年こそ」
のタイトルが踊ります。
この記事では、大東亜戦争前に報告書としてまとめられた対米英国力比較を、陸軍首脳部は焼却を命じ、それを無視して無謀な戦争に飛び込んだと云いたいらしいです。
「現状認識を封印した戦争の結末は悲惨だった」
この文章がそれを表しています。これ「嘘」ですね。
陸軍だけでなく海軍首脳部、そして政府閣僚、当時の最高首脳部の全てが対米英戦にほぼ勝ち目はないことは正確に認識してました。だからこそ東条英機が「清水の舞台から飛び降りる心持」と、対米英戦争に突入せざるを得ないことを表現したのです。万に一つしか勝ち目はないことを認識していたからです。確かに、少壮幕僚の中にはドイツの破竹の勢いに目がくらみ、対米英国力など歯牙にもかけなかった者もいたとは思います。しかしながら、首脳部は間違いなく圧倒的な国力の差を正確に認識していました。
記事では陸軍がまとめた報告書しか対象とされてませんが、当時内閣直属の企画院でも同じようなことをまとめて、当然同じ結論を出しています。
「必ず勝てるのか!」と昭和天皇は、口調厳しく陸軍参謀総長、海軍軍令部長を詰問しました。その時の回答は
「必ず勝てるとは言いかねます。然しながら勝機がないとは言えません」
でした。「戦に必ず勝つ」とは言えない事ですし、「負ける戦に勝つ」こともありうるのが戦争だからです。
「万に一つの僥倖をたのみ『賭け』に出ざるを得なかった」
これこそが事実でしょう。決して現実を直視していなかったわけではない。
ただ過去を断罪することが「反省」だと思っているのでしょうか。しかももっとたちの悪いことに、事実ではないことを事実であるかのように装い、それを反省、断罪するなど、まるで「阿呆」の仕業。
「過去の断罪」とは、自らはそうされるには当たらないという高みにおいた者だけが為し得る傲慢な業だということに思いが至らないらしいです。
「歴史に学ぶ」とは、歴史への愛着、共感がなければ、それを為す事はできません。
「日本の歴史が、自分の鑑とならぬような日本人に、どうして新しい創造があり得ませうか。」
小林秀雄が昭和16年に述べた言葉です。
今日はこれまで。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿