人気の投稿

2012年1月2日月曜日

寿ぐことには・・・

2012 平成24年 

目を覆いたくなるような出来事があり、それによって痛みを感じている人が多くいると思うと、なかなか今年の明けは「おめでとう」とはいえない気がした。

一昨年の10月から昨年9月まで毎日ブログを更新していたせいか、今年の年賀状は何を書くかで非常に頭を悩ませてしまった。

その結果辿りついたのは、ドナルド・キーンの帰化の話題だった。それに触れるに震災後に日本人がみせた世界から賞賛された姿に触れなければならず、ここで一度書いたとはいえ、あらためて書き記すのにもいいだろうと思った。

ということで、以下が本年の賀状文面。


平成24年(皇紀2072年)

昨年、88歳にして日本に帰化したドナルド・キーンは、戦争中日本語の語学将校として、戦場に残された日本兵の日記を分析することが任務であった。戦争終了後、彼は高見順の「敗戦日記」と出会い、その中の一節、「私は彼らと共に生き、共に死のうと思った」に衝撃を受ける。空襲で焼け出され、東京を離れる汽車を待つ人々で大混雑する駅で見た人々の整然とした姿をみての高見の感想である。そうしてキーンは日本文学の研究者となるのだ。

3.11。あの大津波は、文明の営みを嘲笑うかのようにみえた。誰しもが想像だにしなかった大津波だった。「想定外」という言葉をどれだけ目にし、どれだけ耳にしたかわからない。一方で震災直後から整然と秩序だった対応をみせた被災した人々の姿は、全世界が驚愕と賞賛の目をもって見つめた。「日本人」について、世界がそのような目を向けたのは初めてのことではない。その嚆矢は「この国はわが魂のよろこび」と書いたフランシスコ・ザビエル。もっと下って、幕末から明治初頭にかけて来日した多くの外国人たちだ。例えば明治10年に大森貝塚を発見したことで知られるエドワード・モースは、「自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人が生れながらに持っている」とまで書いている。その頃来日した外国人にとって、当時の日本の文明はまさに「この世の楽園」(英国人写真家H・G・ポンティング)と形容するのにも躊躇しないものだった。

鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)は、震災後の日本人の姿をみて若き頃に出会った高見の日記と同じ感慨を奇しくも抱くことになった。その巡り会わせは当の本人でさえ思いもしなかったにことに違いない。人の世の不思議で奇妙なそれでいて素晴らしい縁である。

今日はこれまで

0 件のコメント:

コメントを投稿