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2011年12月13日火曜日

ある時代の哀しみ

酒巻の奴、死んでくれないかなぁ。クラスの恥だからなぁ。

というつぶやきを、若き艦爆パイロットだった豊田穣は同期生から聞いたらしい。昭和17年のこと。

先日、NHKで「真珠湾からの帰還」というドラマをやっていた。僕は観なかったが、その主人公はここでいう酒巻和男。酒巻は、海軍兵学校68期卒で、戦後直木賞作家となる豊田の同期だった。

酒巻は真珠湾内に潜航して攻撃をかける5艇の特殊潜航艇のうちの1艇の指揮官であったのだが、攻撃は失敗。艇は座礁して彼だけは米軍に囚われ捕虜となる。

それが日本に知られて、冒頭の同期生のつぶやきとなったわけだ。

そして、そのつぶやきを聞いた豊田自身も昭和18年に自らの乗機が被弾、ソロモン海で漂流しているところを米軍にとらえられて捕虜となる。乗機の爆撃手だった部下の一言、

死んでもいいですか!

の声に、

待て!

と反応してしまったという。そして豊田は、その後同期生酒巻と米国本国の捕虜収容所で再会する・・・。


「特殊帰還者」

終戦後、祖国に帰ってきた彼らに対して陰で言われる言葉はこれであった。直木賞を受賞することになった豊田は「捕虜になったくせに」という他人からの侮蔑、蔑み・・・そういった誹謗中傷からは無縁ではなかった。また、彼自身がそのことによる「なにものか」から終生離れることはできなかった。

死ぬべきときに死ななかった苦しみ

それが豊田を、そして酒巻をずっとしばっていたに違いない・・・。

酒巻は、実業界に入りブラジルトヨタの社長にまでなる。彼は日本に居場所がないと感じたのか・・・。それは、おそらく

「私は捕虜になった身だから」

といって、昭和天皇の御前に立つことを厭うた大岡昇平と同じような心情だったかも知れない。

召集された大岡と、海軍の幹部養成機関であった海軍兵学校卒の豊田、酒巻とはまったく、取り巻く環境が異なる・・・。後者での「捕虜」という言葉が意味するものは、世間一般よりもはるかに厳しいのではなかったか。


「命」がかくも軽んじられた時代は、おそらく古今東西をみてもかつてのこの国にしかないのではないか。僕はそう思える。

ただ、そういう哀しい時代があって、世の中が戦後の経済成長に浮かれている時でさえ、その時代の呪縛から逃れられぬ人がいたという事実を、ただそれだけを深く心に留めておきたいと思うのみ。

今日はこれまで。

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