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2012年7月24日火曜日

5ヶ月ぶりの更新

精神衛生上、悪いことはわかっているのだが毎日新聞を読むようになってしまった。相も変わらずの二枚舌にはほんとに呆れてしまう。

消費税増税賛成
TPP参加賛成
規制緩和賛成

我が家の購読紙、日経・読売はそろってこうだ。まるで世の中に違う意見はないかのようだ。小沢一郎の離党に関しても否定的に論じている。その根拠は「国民に痛みを求めてこそ責任ある政治家だ」というもの。そういえば、民主党の前原何某(名前を書く価値もない)も、おんなじことを言って、小沢一郎の行動を批判してた。

民主党は、「消費税はあげない」「予算の組み替えによって財源は確保できる」と言って、政権をとったことを忘れているのだろうか?筋論からいえば小沢一郎の離党は正しい。しかし、新聞は小沢を批判する。

消費税増税は社会障費の増大に向けた布石らしい。ならば問う。消費税だけで社会保障費は賄えるのか?これだけ税収が落ち込み、その回復にむけての展望も開けないのに、とりやすいところからのみの税収を補填の手段とするのは、どこかおかしくないのだろうか?

税収を上げるための積極財政、つまりは国債を発行しての公共投資。これも立派な政策のひとつだろう。しかし、新聞は増税こそが唯一の道であるとして反対意見を書かない。

新聞は同じ口でTPP参加交渉を急げという。少子高齢化で縮小する国内のみでは成長は無理だという。それホントか?パイが縮小するなら金額を増やせばいいだろうに・・・。

テレビによく出る元官僚、古賀何某・・・。彼はこんなことをテレビで言ってたな。

「年収200万円クラスが多くなっているから、もっと安い米が必要。だからTPP賛成」

僕には冗談としか思えなかった。まず考えるべきは年収200万円クラスの年収を増やすことだろう。それが政治家の役目であるし、テレビに出て知識人ヅラする人間のマナーではないのだろうか?しかも、TPPなんぞに参加したら、海外から安価な製品が大量に入ってきて、デフレは進みますます賃金は低下するのが必定・・・。

規制緩和こそが成長の地ならしだという。だから、規制緩和は必須だと。

一方、先日の観光バスの死傷事故に関しては、規制を復活、強化せよと正反対のことをいう。いったい、その二枚舌は何なんだ?

そういえば、これからのエネルギー政策に関して「広く国民の意見を問う」ということを政府はしているらしい。原子力の比率を3段階に分けた選択肢を提示しているらしいが・・・。

その公聴会?の模様はテレビでみた。

「たかが電気のために命が危険にさらされるのはおかしい・・・」

と発言している人がいた。看過できない妄言だと僕は思った。発言者の頭の中には原子力への危険性のみしかなく、それがこういう物言いになったと思うが、彼の言う「たかが電気」のために、たとえば黒四ダムは171人の死者を出しての完成だ。「電気の安定供給」という使命のために命を落とした人にむかって「たかが」などという蔑称じみた言葉を「電気」につけるのは考えてもおかしいだろう。想像力の欠如。感情論の極みだ。

前にも書いたけどね、たった一度の敗戦で戦争を考えなくなり、今回の原子力の事故で原子力はもういらないとなるといった状況は、幼児の頭だと僕には思えてならない。




2012年2月28日火曜日

あまりにも低レベル

何のことかというと、橋下大阪市長のいう「維新」とか「船中八策」とか・・・。もういい加減にそんな中身のない空虚な言葉使いからは脱却すべきだとつくづく思う。

なんで、こういう言葉に弱いんだろう?

詳しくは知らないけど、何でもその維新塾とかに3000人を超す人が応募したとか・・・。はっきりいいたい。一体彼から何を学ぶのだろうか?

僕は橋下氏個人は好きでも嫌いでもなく、どちらかといえば、彼の勇気と行動力には敬意を表するが、所詮はそれだけ。船中八策の中身にいたっては噴飯モノだ。

首相公選制?

今、この期におよんで一体なにを馬鹿なことをいいだすのか。史上最低最悪の鳩山、菅の二人の総理の就任当時の人気の高さと、実際の能力のギャップをもう忘れたのか?首相公選制など、人気投票に過ぎないのは明らかなのに、そんなことを「維新」の中身というつもりだろうか?

えらそうな物言いになってしまうが、僕にはどうも遊戯にしか思えない。人が集まれば、志を同じくする人が集まれば、世の中を変えることができるとは、僕も若かりし頃は思ったが、今となってはそれも空しいと思うのみ。それは「すばらしい戦略があれば企業の業績は上向く」と馬鹿の一つ覚えになって「戦略」という言葉を乱用して夢見て、結局は淘汰される日本の数多の企業と同じこと。

幼児の世界観としか僕には思えないんだな。

これもこの社会の反映だと思うと、哀しくもあり、あきらめの感すら覚える。

2012年1月31日火曜日

ぼんやりした不安

本日(1月31日)の日経社説には


人口推計は貧困な少子化対策への警告だ 


と題した記事が書かれていた。

野田政権は新人口推計を貧困な少子化対策への警告と受け止め、出生率をもっと高めるための具体策を打ち出す責任がある。

ともあった。僕にはどうもピンとこないのだ。なぜ出生率が上向かないのか?これはこの国の将来に対するぼんやりした不安からではないだろうか?小手先の策を弄してもおそらく何の効果もあるまい。

ぼんやりした不安・・・。

例えば、学校教育。

僕の住んでいる地域でさえ、公立に対する不信感は相当根深い。経済的に余裕があれば、誰しもが私立へ行かせたいと思っていると思う。僕のうちでもそうだ。中学校からは私立へ行かせたいという気持ちがないわけではない。

大きな問題は「公教育」に不信感がある国に未来などないということ。

誤解を恐れずにいえば、学校教育というのは確固たる「国のかたち」があって始めてなりたつものと思う。この国にはもはやそれがない・・・。

それを正す具体策などあろうはずがない・・・。

2012年1月2日月曜日

寿ぐことには・・・

2012 平成24年 

目を覆いたくなるような出来事があり、それによって痛みを感じている人が多くいると思うと、なかなか今年の明けは「おめでとう」とはいえない気がした。

一昨年の10月から昨年9月まで毎日ブログを更新していたせいか、今年の年賀状は何を書くかで非常に頭を悩ませてしまった。

その結果辿りついたのは、ドナルド・キーンの帰化の話題だった。それに触れるに震災後に日本人がみせた世界から賞賛された姿に触れなければならず、ここで一度書いたとはいえ、あらためて書き記すのにもいいだろうと思った。

ということで、以下が本年の賀状文面。


平成24年(皇紀2072年)

昨年、88歳にして日本に帰化したドナルド・キーンは、戦争中日本語の語学将校として、戦場に残された日本兵の日記を分析することが任務であった。戦争終了後、彼は高見順の「敗戦日記」と出会い、その中の一節、「私は彼らと共に生き、共に死のうと思った」に衝撃を受ける。空襲で焼け出され、東京を離れる汽車を待つ人々で大混雑する駅で見た人々の整然とした姿をみての高見の感想である。そうしてキーンは日本文学の研究者となるのだ。

3.11。あの大津波は、文明の営みを嘲笑うかのようにみえた。誰しもが想像だにしなかった大津波だった。「想定外」という言葉をどれだけ目にし、どれだけ耳にしたかわからない。一方で震災直後から整然と秩序だった対応をみせた被災した人々の姿は、全世界が驚愕と賞賛の目をもって見つめた。「日本人」について、世界がそのような目を向けたのは初めてのことではない。その嚆矢は「この国はわが魂のよろこび」と書いたフランシスコ・ザビエル。もっと下って、幕末から明治初頭にかけて来日した多くの外国人たちだ。例えば明治10年に大森貝塚を発見したことで知られるエドワード・モースは、「自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人が生れながらに持っている」とまで書いている。その頃来日した外国人にとって、当時の日本の文明はまさに「この世の楽園」(英国人写真家H・G・ポンティング)と形容するのにも躊躇しないものだった。

鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)は、震災後の日本人の姿をみて若き頃に出会った高見の日記と同じ感慨を奇しくも抱くことになった。その巡り会わせは当の本人でさえ思いもしなかったにことに違いない。人の世の不思議で奇妙なそれでいて素晴らしい縁である。

今日はこれまで