最近ふとしたことから次の一節を思い出した。
これは、三島由紀夫の有名な「文化防衛論」の中の一節。これは以下の書き出しをもって始まる。
確たることとはいえないが、僕はこういった現象(文化の退廃、衰弱)はこの国のみに見られることではなく、西欧諸国にまで見られるものだと思っている。「近代」のある種の「病い」とでも言おうか・・・。
これもまた不確かであるが、ジョン・ラスキンという19世紀英国の評論家が、「智識が支配する社会になるとその社会は薄っぺらくなる」というような言葉を残していたような気がする。どこで読んだか思い出せない。
僕が言わんとして、三島の言葉で語らせたことの裏打ちをラスキンがしてくれたようなもの・・・。残念なことに、後者の種本がわからんので中途半端・・・。しかも書きあげようとする気力もあまりなし。申し訳なし。
諸君、このこと少し考えてみてください。
今日はこれまで。
何かが絶たれている。豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があったからだ。
これは、三島由紀夫の有名な「文化防衛論」の中の一節。これは以下の書き出しをもって始まる。
昭和元禄などというけれども、文化的成果については甚だ心もとない元禄時代である。
近松も西鶴も芭蕉もいない昭和元禄には、華美な風俗だけが跋扈している。情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を払い、詩の深化は顧みられない。
確たることとはいえないが、僕はこういった現象(文化の退廃、衰弱)はこの国のみに見られることではなく、西欧諸国にまで見られるものだと思っている。「近代」のある種の「病い」とでも言おうか・・・。
これもまた不確かであるが、ジョン・ラスキンという19世紀英国の評論家が、「智識が支配する社会になるとその社会は薄っぺらくなる」というような言葉を残していたような気がする。どこで読んだか思い出せない。
僕が言わんとして、三島の言葉で語らせたことの裏打ちをラスキンがしてくれたようなもの・・・。残念なことに、後者の種本がわからんので中途半端・・・。しかも書きあげようとする気力もあまりなし。申し訳なし。
諸君、このこと少し考えてみてください。
今日はこれまで。
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