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2011年1月21日金曜日

またまた「アバター」の話

 再び「アバター」の話を・・・。

娘を車に乗せて2人だけの時、突然娘がこういい出しました。

「大人になったら、アバターに出て来たカッコイイお姉ちゃんみたいになりたい」

「?」

僕は、ナビ族のヒロインかと思い、びっくりしました。

ところが、よく聞いてみると、映画に出てくる海兵隊の女性パイロットで、ナビ族の味方をして海兵隊を敵に回して戦う女性なのです。撃墜されて死んでしまうのですがね・・・。

その女性兵士ををカッコイイというとは・・・。

僕は不思議な感慨にうたれました。まだサンタクロースを信じている子が、その兵士の行動に何ほどの思いを感じたのかわかりません。ただ、ただ僕は驚きました。

その理由を尋ねようと思いましたがやめました。

「ナビ族を助けたから」

という単純な理由だとは思いますが、その彼女の結末をも受け入れてそう言ったのならば、もう父親としての役目は終えたも同然ですね・・・僕はそう思いました。

今日はこれまで。

2011年1月20日木曜日

心は即ち理なり

本来ならば、昨日書こうと思ったこと。主観・客観の話の続きです。


「陽明学」というのは大方の人が知らない言葉でしょうね。学校の教科書にはおそらく出てこない・・・。
これは、中国明代の王陽明という人の唱えた学問体系です。それまでの正統、官学であった「朱子学」へのアンチテーゼとして生れた学問体系です。

朱子学といい、陽明学といい、その根本は「人は如何にしたら聖人となり得るか」ということに尽きると思います。ここでいう「聖人」というのは人格的に立派な人くらいに考えてもいいと思います。それぞれの身分によって、例えば国王がそれを修める必要があるのは立派な君子になるためであり、仁政を布くためというように、学問というのは身分差に拘らず、「聖人」になるための方法論ということです。

さて、陽明学の有名な言葉に「山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し」というのがありますが、陽明学とは自らの心の主体性に重きをおき、認識と行動の一致を求めます。人は生まれながらにして善なるものを持っており(天理)、それが行動に移せないのは、私欲がそれを邪魔するからだという見方をとるのです。したがって、「天理を存して人欲を去る」という心構えを通じて、認識と行動の一致を求めます。これが「知行合一(ちこうごういつ)」といわれるものです。即ち「知ったからには行わなければならぬ」という、行動を促すためのものと言っていいでしょう。なぜなら、それが人の心に備わってる善の心=天理の発露に他ならないからです。

日本では、17世紀の中江藤樹、熊沢番山が陽明学者として名高く、教科書で習うはずの「大塩平八郎の乱」の大塩平八郎は陽明学徒でありましたし、佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛、河井継之助もその学徒でした。松陰がアメリカ密航に失敗して捕えられた時に詠んだとされる「かくすればかくなるものとしりながらやむにやまれぬ大和魂」という句などは、陽明学の「知ったからには行わなければならぬ」という哲学を、まさに表しているといえるでしょうね。

前置きが長くなりました。今日は陽明学の紹介ではなく、王陽明とその弟子の問答を紹介したかったのです。

山深く人跡未踏の地において、弟子が岩間に咲く花を指さしながら、師である陽明にこう尋ねるのです。

「先生は天下には心の外に物はないと言われますが、この花木などは、深山の中で自然に咲き自然に散ってゆきます。われわれの心とどうしてそれが関係ありましょうか。」

陽明答えて曰く

「君がまだこの花を見ない間は、君にとってはこの花は存在しなかったし、この花も君の心と一緒に静寂に帰していた。しかし君がここに来て、この花を見たとき、この花の色はたちまち明るくはっきりとしだであろう。つまりこれでこの花が君の心の外に在るものではないということが分るではないか。」

これは、一昨日のボーアとアインシュタインの論争を彷彿とさせるではないですか。しかも、その前の主観と客観ということにもつながって来る。陽明は、「心を離れて事物は存在しない」と言い切っています。

驚くことには、陽明のその言葉が「科学」という実証世界の中にあっても確からしい事実としてあるということ。一体、この「世界」の存在とは何なのでしょうか・・・。

今日はこれまで。

2011年1月19日水曜日

もう一回TPPについて

「主観」と「客観」についての話を続けなければならない本日ですが、ちょっと別のことを書きます。 

以前、ここでTPPについて2回書きました。勉強していないので賛成、反対は留保すると書きました。





お恥ずかしい、大変お恥ずかしいことにひどい事を書いてしまいましたので、訂正したいと思います。こう書いたのです。↓

壊滅するかもしれない品目は「チーズ」が浮かびますね。自由化になったらフランス産のチーズが安く買えるわけですから、僕なんか飛びつきますね。先日のブログではないですが、生産技術の伝統が違いますからね。日本の乳業メーカーがつくるチーズとは比べ物にならない・・・。市場から駆逐されるでしょう。しかし、それが世のならいです。

アホみたいですね。TPP環太平洋云々にフランスなど入っていないです。大馬鹿な文章でした。だから、僕が望む安いチーズなど入ってこない。本当にごめんなさい。ご容赦ください。

と、その参加国、交渉国をあらためて調べたのですよ。

シンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージランド この4カ国で始められたものに、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが参加を表明したと・・・。これで9カ国になります。日本が入れば10カ国になります。韓国は不参加を表明し、アメリカとの二国間FTAで行くらしいですね。

韓国は世界の孤児になるつもりなのか?

それよりも、ちょっとこの参加国を見て下さい。ほとんどが農業国で経済規模も小さい。これらの国とそれを結んで、経産省や財界が声高に叫んでいる日本の輸出額は増えるのか?単純な疑問です。

ジェトロのWeb(http://www.jetro.go.jp/theme/wto-fta/basic/tpp/)にデータが出ています。TPP参加交渉国の世界貿易に占める割合です。以下、引用します。

TPP交渉参加9カ国は、世界人口(67.3億人、2009年)の7.4%、世界経済(57.8兆ドル、2009年)の27.7%、日本の往復貿易額(1兆1,323億ドル、2009年)の25.2%、日本の対外直接投資残高(7,404億ドル、2009年末)の40.6%を占める。

この数字をみると、無視できない数字であることがわかりますね。まさしく、参加せず国を閉ざしたら、「世界の孤児になる(米倉経団連会長の言葉)」ことが心配されます。

やはり、「開国」せねば!明治の開国に次いで、平成の開国だ!!

というのが巷の議論になっていますが、これ果たして本当でしょうか?

このデータですが、「参加交渉国」となっているのがトリックです。なぜなら交渉国の一つ「アメリカ」が入っているからです。その数字からアメリカを除いてごらんなさい。恐らく数%ですよ。そんな経済規模の国々と、関税を撤廃する様な協定を結んで得するのは、日本への農産物や鉱物資源の輸出を増やしたい国々だけです。日本の製造業はそんな国に輸出などできませんよ。そこを相手に今以上に日本の輸出が伸びるのでしょうか?たかだか、9カ国の協定に参加しないことが、「世界の孤児」?とんでもない嘘八百ですね。


ちなみに、参加9カ国のGDPを調べてみました。統計局HPからですがブルネイは載ってませんでしたので、別口で調べました。全て2008年データです。前述ジェトロの数字とは異なります。

・シンガポール:1,800億ドル
・ベトナム:900億ドル
・マレーシア:2,200億ドル
・チリ:1,700億ドル
・ペルー:1,300億ドル
・ニュージーランド:1,300億ドル
・オーストラリア:1兆ドル
ここまでの計:1兆9,200億ドル

・アメリカ:14兆ドル
・日本:5兆ドル

7カ国合計でも日本の40%のGDPしかない国と自由貿易になったとして、その日本のメリットは一体何なのか教えてほしいわ・・・。そんな国々に一体日本の何を輸出したら、日本の経済成長を促すもととなるのかな。

※ブルネイは統計局の同じ資料にはGDPが記載されていなかった。「世界経済のネタ帳」(http://ecodb.net/country/BN/imf_gdp.html)とかいうところで調べたところ、140億ドルでしたので、完全に無視できる数字です。

ここで、韓国の不参加の理由が明らかになるのです。この参加交渉国の中で韓国が今より輸出したいのは米国です。他の国ははっきりいってどうでもいい、今の貿易協定で十分なのでしょう。だから、米国だけとの2国間交渉なのです。他の国々は米国、日本、韓国に輸出したいと当然考えます。そうすると、米国だけと自由貿易をしたいだけなのに、TPPに参加したら必要のない国とまでそれをしなければならなくなる。それを避けたのです。極めて真っ当なことですね。ちなみに韓国のGDPは9,300億ドルです。

これらの国で日本と利害が一致しそうな工業製品の輸出国は皆無です。ということは、日本は自身に有利なルールを作るということが不可能ということです。だって、仲間がいなければ多数決で勝てない。

さて批判の矢面にたっている日本の農作物の高関税・・・。前にも書きましたね「コンニャクイモ」の1706%!しかしよく調べてみると、日本の農作物の平均関税率というのは11.2%でしかなく、EUの20%よりも低いのですよ。アルゼンチンやブラジルは30%を超えてますし。

このソースは「赤旗」なんですが、どうも、共産党は非常にまともな事を言っているなと感じてるのですよ、最近は。親米保守の新自由主義を振りかざす人よりは、日本という国家をよく考え、よほどまともな事を言っていると思います。赤旗はTPP参加は日本の農業と地方を滅ぼし、潤うのは自動車産業と電機産業だけだと言っているのですが、この後者は間違っているかも知れませんね。

しかし、どうですかこのTPPの実態・・・。

巷では長期的な「中国包囲網」とかいう意見もあるようですが、包囲網が完成する前に日本がなくなる・・・。

それにしても、米倉住経団連会長はきちんと物ごとをわかって言っているのでしょうかね。ご自身の住友化学のみに大きなメリットがあるからだとしか思えない。チリ、ブルネイ、ニュージーランドも鉱物資源が豊富だぞ・・・。なんて、痛くもない腹を探られますぞ。もう少し、まともな発言をしてもらいたい。

食糧安全保障だとか、自由貿易の拡大発展だとか、そういう背景は関係なく、こんな日本だけが狙い撃ちされるような協定に拙速で臨んでは国を滅ぼすことになる・・・。

今はこんな風に思っています。


今日はこれまで。

※参考は以下。必見です!
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20101218

2011年1月18日火曜日

実在は実在ではない・・・

およそ20年前のこと。

不確定性原理というものを知りたくて、熱心に量子力学の解説本を読んでいました。こまかい内容までは理解できなかったことは言うまでもありません。ただ、一つだけ驚いたことは量子的な見方では「実在は実在はでない」ということ。観測者が「観察」という行為をすることによって実在するのであり、その行為がなければ「実在」しないということ。

昨日の「歴史とは何か」のからみでいえば、純粋なる「客観」「客体」は存在しないということになりますね。

これ、ニールス・ボーアとアインシュタインという、物理学者の論争にまでなったことです。


ボーア
「それは私の観測によって創造された実在体験なのだ。私がみるまではそれは存在しなかったのだ。」

アインシュタイン
「それは実在する粒子であって隠れた秩序にしたがっている。ただわれわれがその完全な秩序をしらないだけなのだ。」

と、こんな具合です。この論争の決着はついたのか未だつかずなのかわかりません。この論争はまるで「認識論」の世界です。哲学のようですが、正真正銘の量子物理学の範疇での論争です。ある実験結果を巡っての論争なのです。

学問の世界とは、実に面白い。そして恐ろしい。果てがないように思えるから。

この認識論についてのつながりはまた明日。


今日はこれまで。

2011年1月17日月曜日

歴史とは何か

8月の三と一の会「東京裁判」で、その内容は忘れましたが、関根さんに質問されました。その時の僕の回答が

「歴史とは現在と過去との対話ですから。視点が変われば歴史も変わり得ます。」

でした。例えていったのは「石田三成」の評価です。江戸時代、彼の評価は最低でした。「徳川」に弓を引いたわけですからね。それが明治になると、その再評価が行われ、あくまでも秀吉に忠義を貫いた忠臣として世に定着します。



非常にいい回答だと自分でも関心したのですが、これ大昔に読んだ本の記憶からの言葉でした。先日書棚からとった本に、そう書いてありました。

「歴史とは何か」という岩波新書。著者はE・H・カーという歴史学者です。この本は、1961年にケンブリッジ大学で行われた連続講演の内容が全訳されたものです。訳者は清水幾太郎。余談ですが、高校生の頃同人の「日本よ国家たれ」という日本の核武装を説いた本を読んで大感激したのを今でも覚えています。世は、進歩的文化人なる人種の妄説、空語が蔓延している時代でした。

さて、この本はアマゾンでもかなりレビューが記録されてます。好評価です。僕もこの本は、非常にいい本だと思います。著者は次のように言います。

「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。」


歴史というのは単なる事実の羅列ではなく、歴史家の解釈を内包しているものということになります。つまり、「歴史的事実」として、何人の批判をも許さないというのは大いなる間違いということになります。その批判は、「事実」に対してではなくその「解釈」に向けられているからです。しかも、その「事実」そのものも、それを「事実」として受け入れるか受け入れないかは、歴史家自身の判断に他ならないからです。

そして、次のように言います。

「歴史家は事実の仮の選択と仮の解釈―この解釈に基づいて、この歴史家にしろ、他の歴史家にしろ、選択を行っているわけですが―で出発するものでもあります。仕事が進むにしたがって、解釈の方も、事実の選択や整理の方も、両者の相互作用を通じて微妙な半ば無意識的な変化を蒙るようになります。そして、歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去との相互関係を含んでおります。歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なものであります。事実を持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命もなく、意味もありません。そこで『歴史とは何か』に対する私の最初のお答を申しあげることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」


 今日はこれまで。



今日はこれまで。


 

2011年1月16日日曜日

妻をめとらば才たけて

新しく財務大臣になった与謝野馨氏は、与謝野鉄幹の孫にあたります。

与謝野鉄幹といえば、タイトルの歌「人を恋いうる歌」ですね。

タイトル以下、次の様に続きます。

「見めうるわしく情けあり
友を選ばば書を読みて
六分の侠気四分の熱」

これは、このあともかなり続く長い歌なのですが、僕はここまでしか覚えていません。

その孫は批判の渦中にありますね。彼は彼なりに「憂国の至情止み難く、世上何と言われようと今の状況を救いたかった」と言うのでしょう。「侠気」かどうかはわかりませんが、「熱」であることは間違いない。まさか「大臣病」という熱病ではないことを信じていますが。

それが凶とでるか吉とでるか。

今日はこれまで。

2011年1月15日土曜日

今更ながら

映画「アバター」を観た。正月にWOWOWでやっていたからだ。

全編、ほとんどがCGで作成されたとのことであるが、その映像には驚愕の一言。いや、驚いた。字幕版だったので、娘に横で「今何て言った?」攻撃を受けた。先日、Luckyなことに吹き替え版をやっており、録画して娘に見せたら、「やはりよくわかる」と言っていた。幼い娘には「海兵隊」という言葉が悪魔の代名詞になったと思う。

そういえば、映画に出てくる海兵隊兵士が操縦するロボットは、「エイリアン2」でシガニー・ウィーバーが操っていたものによく似ていた。どちらもジェームズ・キヤメロン監督だし・・・。

「ターミネーター2」も同監督だったが、「エイリアン2」と出演俳優がかなりダブっていた。好みの俳優というのはあるのだなと思ったことを憶えている。

映画館で映画を観たのは、娘とみたのを除けば思いだせないくらい昔のことだ・・・。何を観たかすら思い出せない。最近は、レンタルビデオすら借りないし、3時間も座って「アバター」を観たのすら久しぶりのこと・・・。どうも、映画を観るという時間に拘束されることに対する「もったいなさ」がある。

今日はこれまで。