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2010年11月20日土曜日

次回選挙選の戦い方

 失点続きの民主党政権にあって、唯一得点を稼いでいたと思われる「事業仕分け」なるものの効果は僅か1兆5千億円、埋蔵金を含めても約4兆5千億円でしかなかったらしいです(11月19日読売新聞朝刊)。


2009年の衆院選マニフェストでは、最大16兆8千億円の財源を創出するとうたっていたんだと・・・。


開いた口がふさがりませんな。まるっきりの空語、根拠なき空しいスローガンだったのでしょう。それが今でも「再々仕分け」とかやってる始末・・・。


いつになるかはわかりません。しかし、確実に選挙はやってきます。


本日言いたい事は、次回衆院選での民主党のスローガンです。これから選挙までの最長3年間で、国民をうならせるほどの高得点を挙げられる可能性はなきに等しいでしょう。彼らはどうやって選挙戦を戦うのでしょう?


「もういちどやらせてください!」


とは言えないでしょうね・・・。


「今度こそうまくやります!」


等誰も信用しない・・・。




いや、ほんとに民主党はまずいですよ次回選挙。まぁ、もともと「泡」みたいな政党なので、パッと消えるのも宿命だとは思いますがね。


それにしても選挙選をどう戦うのか「見もの」だ。


今日はこれまで。

2010年11月19日金曜日

明治生まれの笹川良一という人

僕が子供の頃、笹川良一はテレビCMで馴染みの顔でした。

「戸締り用心火の用心」と流れていた曲は今でも歌えます。何のコマーシャルなのか不思議に思えました。「一日一善」の掛け声で終ったように記憶してます。

長ずるにつれ、彼は不起訴のA級戦犯の一人であり、「右翼の大物」ということを知りました。


僕は笹川良一を間近で見たことがあります。僕が18歳の頃です。

笹川は、当時僕が修行していた少林寺拳法の開祖と昵懇であり、開祖死後も少林寺拳法世界連合総裁という肩書きがありました。もちろん、無数にある笹川の肩書のほんの一つであったに過ぎません。

ある時、彼が僕の住んでいた市に来て講演することになったのです。事の詳しい経緯は知りません。ただ、当時市議会議員だった人が、県議会議員に立候補するための地ならしとして、どういうつてがあったかは知りませんが、笹川良一を招聘したのです。

僕のいた道場のシンパであった地元の実業家の一人が、その件の市議会議員を応援していました。その関係で、道場の僕ら大学生が会場の警備の一端を担うことになったのです。

「左翼の連中が妨害しにくるかも知れない」

まぁ、今から思えば噴飯ものですが、僕らは実際にそう言われていました。

講演は地元の市民会館でで行われました。600人ほどの収容人数です。当日の入りがどの程度であったのかは全く記憶にありません。それは平日の月曜日であったように思います。月曜日はゼミの授業があり、タイミングの悪いことにちょうど、僕の課題発表の日だったのですが、僕はそれをすっぽかして笹川良一を間近で見ることを優先したのです。

僕は演台の右手奥に、会場を向いて立っていました。心中「山口二矢みたいなのが出てきたらどうしよう」と考えてばかりいたのを憶えています。だから、笹川良一が何を話したのか全く覚えてません。

彼は、自身が講演している時間、そして彼を招聘した市議会議員が自分の業績を自画自賛し、そして笹川良一をどうして知ることになったかを延々話している間、合計で3時間弱だったと思いますが、その間、ずっとほぼ「気をつけ」の姿勢を崩すことがありませんでした。その姿勢の素晴らしさと我慢強さだけが僕の記憶に残っていることです。

最後に、司会者が「笹川先生に○○議員の応援の意味を込めて万歳三唱の音頭をとってもらいたい」と言ったところ、笹川は、それを円滑に受け流し、「○○市万歳」と変えて音頭を取りました。僕はこの人は「えらい」と思いました。彼を招聘した市議会議員は「話が違う」と思ったかも知れませんが・・・。

「気をつけ」の姿勢を長時間続けるなど、常人のできることではありません。ただの一度も足の位置をずらす事つまり「休め」をとることなく、直立不動だったのです。「明治生まれ」の一端、当時の僕はそう感じましたが、それを僕は間近で垣間見ることができました。

冒頭に挙げた本は新刊です。非常に興味をそそられます。

今日はこれまで。







2010年11月18日木曜日

衝突ビデオ流出問題に一石を投じる その2

 よくよく考えてみると、例のビデオで流出した「事件映像」を見て、「再犯の恐れはない」「計画性はない」とかいうのは、全くの大嘘でしたね。


 「ここは一般車両立ち入り禁止ですから直に出て下さい」


進入車両に対して、こう警告したパトカーに


「しゃらくせえ!撃てるものなら撃ってみろ!」とぶつけているわけですよ。


 那覇地検は国民に対して大ウソを言ったわけですよ。それを政府は現場の判断で「了」としたと・・・。アホか!仮に現場の判断でいいです。それなら、その判断を下した検察の責任を問いなさい!なぜ世の中はそれを言わないのか、まったく意味がわからない。ただ目前の現象に反応しているだけのものですよ。


 政府がビデオを公開しなかったのはむべなるかな・・・。あれを見たら、「なぜ釈放した!」という声が沸き起こるはずでしたからね。ところが、管見の限りではその声はないようです。それを問い詰めるのではなく、「流出」という、これまた目前の現象だけに捉われた物言いしかしてないようです。これはどう考えてもおかしいことです。


 件の海上保安官を擁護、応援する多くの国民の声があるといいますが、問題がちょっとずれているのではないですか?


長歎息・・・。やはり目を閉じ耳を塞ぐが得策・・・。


 今日はこれまで。





2010年11月17日水曜日

過去の過ち・・・

 最近の政府を見ていると、何だか観ている方がげっそりとしてしまいます。


もう末期症状のように思えるのは僕だけではないでしょう。断言しておきますが、昨年の衆院選で民主党に投票した人は、自分の過ちをはっきり感じて下さい。こうなることは目に見えていた事ですよ。簡単なことです。当時率いていた人の顔をごらんなさい。あれが一国を担う顔に見えますか。しかもご丁寧なことに、彼の醜悪なのは顔だけでなく、頭の方はそれに輪をかけてひどかった・・・。外国のマスコミに「ルーピー」とかと言われる一国の首相がどこにいるのですか!そのマスコミは言葉が汚いのかも知れませんが、多くの日本人もそれに同調したのは事実でしょう。


なんと、彼はまだ民主党にうごめいているのですよ。




 理想の世の中は、鼓腹撃壌http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/08256906780800/

政治なんかに拘るのは不幸のもとですね。やはり目を閉じ耳を塞ぐが得策か・・・。


とはいえ、先日あまりにも腹にすえかねることがあって、自民党の埼玉県連に抗議のメールを送りました。
もちろん、住所氏名明記の上です。応答あればとことんまで「やって」やろうと覚悟してのことです。


予想通りというか、呆れたというか、「ご意見ご希望をお寄せください」のHPが呆れるワ・・・。


 今日はこれまで。

2010年11月16日火曜日

政治行動

 言うまでもなく、政治行動の究極の形は「テロ」であります。


今上映中の「桜田門外の変」もテロですね。






一番新しいその記憶は、昭和35年の社会党の浅沼委員長への「テロル」でしょう。


「山口二矢(おとや)」という、当時17歳の少年による犯行でした。浅沼が国交回復前の中国を訪問し、




「米帝国主義は日中共同の敵」


という言説を吐いたことに、腹を立てての犯行でした。。彼は留置所だったかな、その中で首つり自殺を遂げます。「七生報国」という遺書を残して。


 
 さて、そもそも政治というものは主義主張の対立するものを抹殺しなければならないものです。「テロル」というのは、その抹殺手段に言葉ではなく、力を行使するだけだとも言えます。思想的に考えれば、政治の一行動といえるものです。




「民主主義の時代にテロルなどとんでもない」


世の中一般ではこう言います。要するに、言葉で戦う土俵上に、それ以外のものを持ち込むことはまかりならんというわけですね。この場合は、「力」というか、「暴力」といってもいいでしょう。


ならば、「数の力」は暴力ではないのか?


あくまでも思想的に言ってます。


同じ事です。


かつて世を騒がせた、全学連でも全共闘でも、彼らは「テロル」でなく「デモ」という手段を使ってこの国のありようを左右しようと目論んだ。これこそ、衆をたのんで、つまりは数を力を以て世の中を恫喝したわけ。どう考えても、美しい振る舞いではない。


それをあるべき姿と見るべきなのか?


デモによって政治が左右される世の中を是とみるのか?


僕は真っ平御免だ。


 


今日はこれまで。























2010年11月15日月曜日

出会い

 10月にmixiの日記にコメントをつけてから、その人の関係が始まりました。
その返信に、僕と似ているものを即座に感じ取りましたので、マイミクになって頂きました。
前にここで紹介した渡辺京二「逝きし世の面影」はその彼に教えてもらったものです。


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post_19.html


浄土真宗に関わる「非僧非俗」という日記に対して、明治後の日本仏教の自堕落、出タラメ加減に意見を一にし、和辻哲郎の「日本倫理思想史」に話が及ぶにいたっては、彼の博学振りに目を見張りました。




その後、福澤諭吉について僕に再認識、再評価の目を開かせてくれ、20歳の頃に毛嫌いしてから、ほとんど学んでいなかった福沢諭吉の言説は、最近の僕の考えを裏付けてくれているようなものだと思うようになりました。


つまり、僕を啓蒙してくれたのです。


その彼と、昨日リアルで会い、一献傾けて参りました。


彼は若干29歳!


博士のたまごで、日本思想史を学んでいる学究の青年でありました。


例え話や、考えを述べるのに、「相手は知っているだろうか?」というためらいなしに議論が出来たのは、私にとっては初めての経験でした。6時間半も延々と飲み、話し、時間があっという間に過ぎて行きました。


世の中にこんな青年がいたのかという嬉しい驚きです。他日の再会を期したのは言うまでもありません。


機会があれば、メンバーの皆にも紹介したいと思います。


 今日はこれまで。



2010年11月14日日曜日

この世の楽園とは・・・

「英国人写真家の見た明治日本」著者ハーバード・G・ポンティング。


副題に「この世の楽園・日本」とつけられています。著者のポンティングは、スコットの南極探検に同行した写真家であり、彼は明治35年(1902)頃に初めて来日し、明治39年(1906)までの間、日本を度々訪れ、日露戦争勃発後はアメリカの雑誌社の特派員として日本陸軍の第一師団に順従軍している。日本での彼の滞在期間は、合計で3年ほどあったらしい。


彼は離日後の明治43年(1906)に、日本での滞在記録を自身が撮影した豊富な写真とともに出版したのだが、その題名が


「この世の楽園・日本」


であった。


前に紹介したチェンバレンの日本事物詩では


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/11/bh.html


ポンティングが日本に滞在した頃の日本を、その急激な変化の波に洗われていく様子を、「古き日本は死んでしまった」と表現しましたが、その頃でさえなお、初めて日本を訪れた英国人写真家をして「この世の楽園」と言わしめるほどの「なにものか」をこの国は持っていたことになります。


 本書の特徴は、豊富かつ素晴らしい写真の数々です。彼が旅行した日本の各地の風景だけにとどまらず、日常の日本人の暮らしぶりが写真に収められ、その生き生きとした表情には僕らが息をのむような美しさがあります。


 本書の中で、ポンティングは日本の婦人を絶賛してます。


「日本を旅行するときに一番すばらしいことだと思うのは、何かにつけて婦人たちの優しい手助けなしには一日たりとも過せないことである。」


 ご承知かも知れませんが、人前で決して涙を見せない日本婦人に対しては「冷たく同情にかける」という誤解が外国人の中でありました。出征する自分の夫を見送るとき、またはその死と対面するとき、日本の婦人は強い自制をもって泣き叫んだり、取り乱したりすることがなかったからです。


「前線に行く許可を日本で待っていた間に、私は哀しい光景を何度か目撃した。戦場へ行く船に乗り込む前に、兵隊が妻や母親に最後の別れを告げる場面を多く見たが、そこで、彼らが涙を流しているのを見たことがない。逆に笑顔を見たことは何度もある。というのは、日本では笑顔は心の中の苦しさを隠す仮面となっているからだ。婦人たちの表情は毅然として少しも気落ちしていないようにみえたが、こんなに可愛らしく心優しい人々にとって、それだけうわべを装うのはかなり難しいことであったにちがいない。別れるときは抱擁をしないでお辞儀を何度も繰り返し、優しい声で何回もナヨナラを言った。」


こう、目撃した場面を綴ったあと、著者は次のように続けます。


「別れが終わって、妻と母親が背を向けて主人のいない家へ帰って行くとき、彼女たちの胸の奥深く潜む不安と心配を知りたいと思っても、その外観からはそれを窺わせるものを何一つ見いだすことはできないだろう。何故なら彼女の顔は、死を覚悟しながら笑みを浮かべて出征していった夫の顔と同じように、何世紀もの間、感情を抑制することに慣らされてきた民族に独特の偽りの仮面だからである。」




 今日はこれまで。