いやあ、驚きました。皆さんは無事でしたか?
菅原さんの実家が仙台です。未だ連絡つかないらしく心配です。
1446。ゆらゆらゆっくり揺れていたと思ったら、だんだんと揺れが激しくなり、本棚を守ることに集中しいてたら、スピーカーは倒れてくるわ、壁時計はふっとぶわ、部屋の外からはガラスの割れる音が響き渡り・・・。
揺れがおさまった後に各部屋を見て回って、思わず笑ってしまいました。棚が倒れるということは有りませんでしたが、戸棚が開いて中の食器が飛び出してかなり割れました。娘の部屋は本が散乱、花瓶の水がこぼれてました。本棚は守りましたが、それ以外は「惨状」でした。
階下にいくと、さすがの父親も外に出ていました。母親は着替えの最中だったみたいで、
「こんな恰好で外に出られない」
と父親にぼやいていました。階下の被害は全くなく、ただ棚の上からモノが落ちてきたくらいでした。上と下では揺れに大きな差があることを実感しました。テレビでは緊急速報がでたらしく、父親はそれなりに準備していらしけど、それなら僕にも教えてくれればよさそうなものですね・・・。
一斉下校となった娘を迎えに学校へ行くため、自転車を走らせると、途中ブロック塀が倒れていたり、屋根の瓦が落ちている家がありました。
女房とは、地震の1時間後にメールがありましたが、それ以降数時間不通で、第二信では会社が埼玉方面の人を送る車を出してくれるのでそれに乗って帰るとのこと・・・。帰宅困難者とはならずに済んだようです。
地元の市立小学校で教師をしている甥っ子は、22時頃帰宅途中に顔を見せ、
「帰宅できない中・高校生が100人くらい学校に泊まる。しかも、一人の小学生の父兄と連絡がとれていない」
とのこと。都内から通わせている父兄もいるようで、何ともかわいそうですね、小学生が遠いところへ通うのは。
しかし、津波が町を飲み込む映像は衝撃的でした。アメリカ、イギリスのヤフーのトップ画面にもなってましたよ。
しかし、阪神大震災の時は甚大な被害を容易に予想されるほどの揺れだったのに自衛隊は出動できなかったのですよね。今から思えばちょっと考えられません。あの被害の何割かは、人災だと僕が思うのは、そういうバカげたイデオロギーで、救助に対して大きな戦力となりえた自衛隊の派遣要請をしなかった当時の首長の責任が非常に大きいと思うからです。万死に値すると思います。
今回は、自衛隊の観測ヘリによる被害状況撮影映像が即座にテレビでも流れました。あれだけの死者があって、初めて為し得たことですね。
オバマ大統領も日本に援助のメッセージを即座に出してきました。在日米軍司令官も全面協力を申し出ました。確か、阪神大震災の時は米軍の援助を断ったのじゃなかったかな。
自衛隊艦艇とともに、即座に三陸沖に第七艦隊を送るべきでしょう。救助できる人がいるかもしれない。あと海保もだな・・・。
関東大震災の時もアメリカは日本に対して驚くほどの援助をしたのですよ。たとえばフィリピンから病院船を派遣したりね。その船のベッド数は当時の東京の病院のベッド数に匹敵したか、上回ったか、そのどちらか忘れましたが、とにかくそのような援助をしたのです。
まあ、アメリカの本音は、アメリカの排日移民法の成立により日米関係が最悪の状況だったので、少しでも日本のそういった感情を和らげようとした魂胆からでしたけどね。
なんでも菅総理にも外国人からの献金があったらしく、新聞の夕刊はそれが一面でしたけど、彼にとってラッキーなことに、今はそれどころではなくそんなニュースは吹っ飛びました。たぶんホッとしているんだろうな。
娘は、けろっとしてましたね。クラスの男の子には泣き出す子もいたらしいですが・・・。
突然、ホントに突然に命をなくされた人々のご冥福を祈念とするともに、そのご家族に深い哀悼の意を表します。そして、行方不明の人が元気に見つかり、未だ家族の安否確認ができない人がその無事を聞いて心から安心できることを願っています。
今日はこれまで。
菅原さんの実家が仙台です。未だ連絡つかないらしく心配です。
1446。ゆらゆらゆっくり揺れていたと思ったら、だんだんと揺れが激しくなり、本棚を守ることに集中しいてたら、スピーカーは倒れてくるわ、壁時計はふっとぶわ、部屋の外からはガラスの割れる音が響き渡り・・・。
揺れがおさまった後に各部屋を見て回って、思わず笑ってしまいました。棚が倒れるということは有りませんでしたが、戸棚が開いて中の食器が飛び出してかなり割れました。娘の部屋は本が散乱、花瓶の水がこぼれてました。本棚は守りましたが、それ以外は「惨状」でした。
階下にいくと、さすがの父親も外に出ていました。母親は着替えの最中だったみたいで、
「こんな恰好で外に出られない」
と父親にぼやいていました。階下の被害は全くなく、ただ棚の上からモノが落ちてきたくらいでした。上と下では揺れに大きな差があることを実感しました。テレビでは緊急速報がでたらしく、父親はそれなりに準備していらしけど、それなら僕にも教えてくれればよさそうなものですね・・・。
一斉下校となった娘を迎えに学校へ行くため、自転車を走らせると、途中ブロック塀が倒れていたり、屋根の瓦が落ちている家がありました。
女房とは、地震の1時間後にメールがありましたが、それ以降数時間不通で、第二信では会社が埼玉方面の人を送る車を出してくれるのでそれに乗って帰るとのこと・・・。帰宅困難者とはならずに済んだようです。
地元の市立小学校で教師をしている甥っ子は、22時頃帰宅途中に顔を見せ、
「帰宅できない中・高校生が100人くらい学校に泊まる。しかも、一人の小学生の父兄と連絡がとれていない」
とのこと。都内から通わせている父兄もいるようで、何ともかわいそうですね、小学生が遠いところへ通うのは。
しかし、津波が町を飲み込む映像は衝撃的でした。アメリカ、イギリスのヤフーのトップ画面にもなってましたよ。
しかし、阪神大震災の時は甚大な被害を容易に予想されるほどの揺れだったのに自衛隊は出動できなかったのですよね。今から思えばちょっと考えられません。あの被害の何割かは、人災だと僕が思うのは、そういうバカげたイデオロギーで、救助に対して大きな戦力となりえた自衛隊の派遣要請をしなかった当時の首長の責任が非常に大きいと思うからです。万死に値すると思います。
今回は、自衛隊の観測ヘリによる被害状況撮影映像が即座にテレビでも流れました。あれだけの死者があって、初めて為し得たことですね。
オバマ大統領も日本に援助のメッセージを即座に出してきました。在日米軍司令官も全面協力を申し出ました。確か、阪神大震災の時は米軍の援助を断ったのじゃなかったかな。
自衛隊艦艇とともに、即座に三陸沖に第七艦隊を送るべきでしょう。救助できる人がいるかもしれない。あと海保もだな・・・。
関東大震災の時もアメリカは日本に対して驚くほどの援助をしたのですよ。たとえばフィリピンから病院船を派遣したりね。その船のベッド数は当時の東京の病院のベッド数に匹敵したか、上回ったか、そのどちらか忘れましたが、とにかくそのような援助をしたのです。
まあ、アメリカの本音は、アメリカの排日移民法の成立により日米関係が最悪の状況だったので、少しでも日本のそういった感情を和らげようとした魂胆からでしたけどね。
なんでも菅総理にも外国人からの献金があったらしく、新聞の夕刊はそれが一面でしたけど、彼にとってラッキーなことに、今はそれどころではなくそんなニュースは吹っ飛びました。たぶんホッとしているんだろうな。
娘は、けろっとしてましたね。クラスの男の子には泣き出す子もいたらしいですが・・・。
突然、ホントに突然に命をなくされた人々のご冥福を祈念とするともに、そのご家族に深い哀悼の意を表します。そして、行方不明の人が元気に見つかり、未だ家族の安否確認ができない人がその無事を聞いて心から安心できることを願っています。
今日はこれまで。
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