最近知ったのですが、この写真の夏目漱石は今の私と同じ年だったそうです。
ちょっとびっくりしました。明治天皇の大喪の礼の時だそうです。
腕に喪章をつけてますしね。
さて、先月彼の後期3部作の最後である「こころ」を読了して、改めて、近代化への抗しがたい大きなうねりの中へ、否応なく投げ込まれざるを得なかった夏目漱石の悲哀というか、苦衷というかがわかったような気がしました。
前期3部作「三四郎」「それから」「門」から、後期3部作と言われる「彼岸過迄」「行人」「こころ」と読み進めてきて初めてわかりましたが、彼の小説は決して最後に片付いていないのです。どこか中途半端で終わっているのです。
「こころ」の後に書かれた「道草」の最後は
「何、世の中に片付くものなんてありやしないのさ」と主人公がつぶやいて終わります。
「道草」は漱石の自伝とも呼ばれていますが、最後の主人公のセリフは漱石の心情を誠にうまく表していると思います。
彼は、そういう心持から一時も離れることができなかったのかも知れません。
後年彼は「則天去私」という境地を好んで使いますが、漱石は、最後までその「私」がどこの何者なのかの答えを探し続けて悶えていたような気がしてます。決して悟ったのではないと思っています。
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