日経「私の履歴書」。
月が改まり、本日より三菱重工業相談役の西岡氏なる方に変わりました。連載初日から三菱名古屋工場のシンボルの撤去を中止させたという内容が出てました。記事にあった通り三菱の名古屋工場というのは、かつての海軍の戦闘機零式艦上戦闘機を生んだ場所なのです。「ゼロ戦」といえば、今でも多くの人はその名前くらい知っていると思いますが、今日はその辺りの話を書こうと思います。
世に知られる「ゼロ戦」とは、正式名を「零式艦上戦闘機」といいます。この「零」ですが、この戦闘機が日本海軍に正式採用されたのが昭和15年(1940)、日本皇紀2600年でしたのでその末尾の「0=零」をとったわけです。ちなみに日本の兵器の名称は、その皇紀の末尾から取られたものが多々あります。
そのゼロ戦の設計主務者となったのが、三菱の若きエースであった堀越二郎でした。30代前半だったと思います。堀越は、既に最高の戦闘機と呼ばれた海軍の96艦戦を設計しており、その力量は三菱社内だけでなく広く海軍にも知られていました。
海軍から出された要求性能書をみて、三菱以外の航空機メーカーはそのコンペを途中で辞退してしまい、次期海軍の主力戦闘機は堀越一手にかかることになります。要求性能書には、当時の航空機の水準をはるかに上回ることが列記され、堀越自身も「どう考えても、要求通りにつくるのは無理だと思った」といいます。昭和12年のことです。
ゼロ戦の初陣は昭和15年9月。支那事変においてでした。13機のゼロ戦で敵機27機(ソ連製中国機)を全機撃墜という華々しいものでした。その後、昭和16年12月の大東亜戦争開戦まで、撃墜されたのは僅か2機、それもそのうちの1機は高射砲によるものという、圧倒的な強さを見せていたのです。
中国空軍にはアメリカの退役軍人という建前で実は現役軍人である「フライングタイガース」という義勇軍がありました。その指揮官は、「日本がとてつもない戦闘機を開発して実戦に投入してきた」とアメリカ本国に警告を発しました。ところが、本国はその警告を無視します。「日本にそんなモノをつくる力はない」という強烈な思い込みと、その指揮官クレア・シェンノートの日ごろの大言壮語が原因でした。
日米開戦後、アメリカはその警告が本物だったと気づくことになります。ゼロ戦は、当時のアメリカ戦闘機と最高速度が同等でありながら、ひらひらと攻撃をかわす身軽さ、もちろん日本海軍のパイロットの技量が卓越していたことにもよりますが、アメリカ軍機、イギリス軍機ともに全く歯が立たなかったのです。大戦初期の彼らには「ゼロを見たら逃げろ」という命令が出ていたそうです。
ゼロ戦の優れていた点は、その航続距離と空戦性能にありました。とにかく機体を軽量化することに専念され、ボルトんぽ一つでさえ、徹底的な軽量化が図られていました。パイロットや燃料タンクを守る防弾装置は皆無でした。それには当時の日本の技術上のネックもありましたが、そもそも海軍の要求性能書に「乗員を守る」という発想がなかったのです。これはアメリカの戦闘機とは完全に異なる設計思想でした。
ゼロ戦を見て、その流れるような機体の美しさに女性らしさを感じるのは僕だけでしょうか。ゼロ戦は、大量生産には向かない戦闘機で、どちらかといえば職人の手作りのようなそんなイメージがあります。生産工数もかなりありました。
一方、アメリカ海軍のグラマン社製F6Fヘルキャットの武骨な姿はどうでしょう。これは、ゼロ戦に倍する2000馬力のエンジンを積み、防弾性能はゼロ戦とは比較にならないくらい優れたものでした。大量生産向きの機体であることは言うまでもありません。
大戦末期にはアメリカ軍機は2000馬力の戦闘機が揃えられますが、日本海軍が2000馬力の戦闘機を実戦に投入するのは、昭和20年まで待たねばなりませんでした。紫電改という戦闘機を揃えた部隊の活躍は以前紹介しましたね。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/07/654.html
ゼロ戦は、改良に改良を重ね最後まで日本海軍の主力戦闘機でありつづけるのですが、活躍できたのは優秀な搭乗員も多く、性能も卓越していた大戦初期までで、中期以降になると苦戦の連続となります。しかし、それにかわる戦闘機を海軍は生みだす事はできなかったのです。そのため、ゼロ戦という機体を使い回したというのが実情です。
日本の「モノづくりは一番」と自民党が言ってますね。かつて「経済一流」と言われたのも、それが一流たる原因だったと思いますが、「ゼロ戦」という技術の結晶の末路がどうであったかを思うと、そればかりを言い募ることはできまいと思います。「ガラパゴス化」の嚆矢であったともいえるかも知れません。「日本人」にだけ通用、受け入れられる機体であったということです。ディスカバリーチャンネルの「世界の名戦闘機トップ10」には、ドイツのメッサーシュミット、イギリスのスピットファイアはランクインしてましたが、ゼロ戦をはじめとする日本の陸海軍の戦闘機は1機もランクインしてなかったのも、そのあたりが原因かと想像してます。
余談ですが、当時の日本の戦闘機は、現在のノーマルガソリンより低いオクタン価の燃料で飛んでました。その中で設計通りの性能を出すのは不可能だったということもあったと思います。戦後日本の各種航空機をアメリカ本国へ持ち帰り、品質の良い部品に交換し、オクタン価の高い燃料を入れて飛行させたところ、アメリカも驚くほどの性能を発揮した日本の戦闘機が多かったと言います。
今日はこれまで。
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2010年11月1日月曜日
2010年10月31日日曜日
命の授業?
娘の学校のPTAの研修で「命の授業」なるものがありまして、出席して来ました。
講師は児童文学作家で、この企画があがった時にその研修の内容になる本を読みました。全国で飼い主に捨てられ、殺処分になる犬が30万頭いるそうで、その姿から身勝手な人間と、命の大切さを学ぼうというような内容でした。
人は善良で、間違い等起さない、もし間違いが起こったなら、それは社会が悪い・・・という左の人の常套文句、この国の目にあまる現状(犬に限らず)は、その末路だと僕は思っています。しかるに、その講義内容は・・・。まったくもって噴飯もの。まぁ、概ねそうだろうとは予想してましたけど。
「命」に優劣はない。小さな子犬も人間も皆同じ命だと・・・
誤解を恐れずにいえば、僕はこういう言い方こそ間違いを生む元凶だと思っています。もし「命」というよりその価値に優劣がないのなら、僕ら人間が、老いも若きも幼きも、多くの動物を食していることをどのように説明するのか?同価値であるとしてしまったら説明などできるわけがないのです。
だから、「人間」というものは何なのかを考える必要があるわけですね。それを考えさせずに「命」の話など、何の価値もない。全ての殺生を禁じるというのなら、理屈は通じますが、牛や豚や鳥はたらふく食べるくせに、命は等価値などというのは意味が通らないですね。
犬や猫の殺処分を減らすのは、大人の責任で法改正が必要だと思います。
「命」とか、「平和」とか、そう言う言葉にご用心ですよ。僕はその言葉に拒絶反応があります。
ちなみに、捨て犬、捨て猫を減らすためには、イギリスがやっているように個体にチップを埋めることが有効でしょう。とにかく厳罰をもって臨むことが必要だと思います。それと、憐れな最終出口だけでなく、まるで商品のように幼い頃から売られている今のペットショップのあり方も入り口として検討すべきですね。社会化も済んでいない幼犬のうちから、人間に売るから犬のしつけがうまくいかなくなったり、その結果「馬鹿犬」として捨てられてしまったりする犬が多いのですよ。さらには、狭い檻の中で見世物になっている環境も規制すべきでしょうね。ヨーロッパでは店頭で犬を売ることは「虐待」として認められていないのですよ。
江戸時代末期に訪れた外国人は江戸のまちの犬の多さに一様に驚き、その様子を書き残しています。そして、人間に虐待もされず、ことさらかわいがられもせず、人間の仲間として同じ場所で暮らしていると・・・。
人間は万物の頂点にあるという、キリスト教の教えを聞くと、当時の日本人はみな驚いたと言われます。当時の日本人にとって、犬も猫も馬も牛も、等しく同じ「命」をもつ仲間だったのですね。彼らは獣の肉を食する習慣もありませんでしたし、馬は去勢もされてもいなかったし、牛の乳すら飲む習慣もなかった。「山川草木悉有皆仏性」という仏教的な要素があったことは確かでしょうね。
下田に居を構えた初代総領事ハリスが、奉行所に毎朝の「牛乳」の配給を望んだ時、断りの手紙には「牛の乳は子牛が飲むものだぞ、そんなことまでしなくても」というたしなめのニュアンスが感じられて当時の日本人の心情が微笑ましくなります。
今日はこれまで。
講師は児童文学作家で、この企画があがった時にその研修の内容になる本を読みました。全国で飼い主に捨てられ、殺処分になる犬が30万頭いるそうで、その姿から身勝手な人間と、命の大切さを学ぼうというような内容でした。
人は善良で、間違い等起さない、もし間違いが起こったなら、それは社会が悪い・・・という左の人の常套文句、この国の目にあまる現状(犬に限らず)は、その末路だと僕は思っています。しかるに、その講義内容は・・・。まったくもって噴飯もの。まぁ、概ねそうだろうとは予想してましたけど。
「命」に優劣はない。小さな子犬も人間も皆同じ命だと・・・
誤解を恐れずにいえば、僕はこういう言い方こそ間違いを生む元凶だと思っています。もし「命」というよりその価値に優劣がないのなら、僕ら人間が、老いも若きも幼きも、多くの動物を食していることをどのように説明するのか?同価値であるとしてしまったら説明などできるわけがないのです。
だから、「人間」というものは何なのかを考える必要があるわけですね。それを考えさせずに「命」の話など、何の価値もない。全ての殺生を禁じるというのなら、理屈は通じますが、牛や豚や鳥はたらふく食べるくせに、命は等価値などというのは意味が通らないですね。
犬や猫の殺処分を減らすのは、大人の責任で法改正が必要だと思います。
「命」とか、「平和」とか、そう言う言葉にご用心ですよ。僕はその言葉に拒絶反応があります。
ちなみに、捨て犬、捨て猫を減らすためには、イギリスがやっているように個体にチップを埋めることが有効でしょう。とにかく厳罰をもって臨むことが必要だと思います。それと、憐れな最終出口だけでなく、まるで商品のように幼い頃から売られている今のペットショップのあり方も入り口として検討すべきですね。社会化も済んでいない幼犬のうちから、人間に売るから犬のしつけがうまくいかなくなったり、その結果「馬鹿犬」として捨てられてしまったりする犬が多いのですよ。さらには、狭い檻の中で見世物になっている環境も規制すべきでしょうね。ヨーロッパでは店頭で犬を売ることは「虐待」として認められていないのですよ。
江戸時代末期に訪れた外国人は江戸のまちの犬の多さに一様に驚き、その様子を書き残しています。そして、人間に虐待もされず、ことさらかわいがられもせず、人間の仲間として同じ場所で暮らしていると・・・。
人間は万物の頂点にあるという、キリスト教の教えを聞くと、当時の日本人はみな驚いたと言われます。当時の日本人にとって、犬も猫も馬も牛も、等しく同じ「命」をもつ仲間だったのですね。彼らは獣の肉を食する習慣もありませんでしたし、馬は去勢もされてもいなかったし、牛の乳すら飲む習慣もなかった。「山川草木悉有皆仏性」という仏教的な要素があったことは確かでしょうね。
下田に居を構えた初代総領事ハリスが、奉行所に毎朝の「牛乳」の配給を望んだ時、断りの手紙には「牛の乳は子牛が飲むものだぞ、そんなことまでしなくても」というたしなめのニュアンスが感じられて当時の日本人の心情が微笑ましくなります。
今日はこれまで。
2010年10月30日土曜日
短期的な課題(印度・核・集団的自衛権)
中国やめて印度へ行こう!
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post_23.html
の無責任な掛け声もあながち空想ではなくなって来るか?と期待しています。
核不拡散条約という建前の世界では、世界の核保有国は国連常任理事国のみですが、実際はそれ以外にも確実なのがイスラエル、パキスタン、印度、怪しいのがイラン、そして北朝鮮と言われています。折角盛り上がって来たインドとの関係強化も、インドの核実験に対して日本からケチがつきそうで心配してます。インドはモラトリアムだと言っていますが、やるのなら、こっそりと誰にも知られずに行って下さい。
そもそも、民主党政権の弱腰だけが叩かれてますが、ことその問題に対しては自民党も同じ穴のむじなと言わざるを得ません。世論なるものに阿りつづけてきたつけが今噴き出していると言ってもいいでしょう。
「核兵器」の問題がその一つです。日本は米国の核の傘に守られているというのは周知の事実。ならば、他国が核を保有することにも、苦虫を噛んだような顔をして「しかたない」というのが本来の態度でしょう。それを「唯一の被爆国」だからという理由で、「核」に対して文句を言うのは通りませんね。仏人エマニュエル・トッド曰く「日本は唯一の被爆国として核兵器を持つ資格を持っている」なのですから、「核」について冷静に議論をしましょう。
もうひとつは、集団的自衛権の問題です。これは「保有すれども行使せず」とかいうわけのわからん解釈を踏襲していますが、これはきちんと認めるべきでしょう。今なら国会の議決でそれが可能になるのではないですか。集団的自衛権なしでは世界のほとんどの国が安全保障を果たす事ができないのですから、日本も胸を張って普通の国になればいいのです。
これは、直ちに解釈変更の政府見解を出した方がいい、というか出す事が急務だと思います。尖閣にも安保条約は発動されると米国は断言したのですから、共同防衛にあたってくれる番犬様、米国の艦船を日本が守れないというのはどう考えてもおかしいでしょう。仮にそんな事態になったら、日本は世界中から相手にされなくなるのは明らかですからね。
党利党略を超えて、とりあえず集団的自衛権の問題だけは何とか、まとめてほしいと切に願います。
今日はこれまで。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post_23.html
の無責任な掛け声もあながち空想ではなくなって来るか?と期待しています。
核不拡散条約という建前の世界では、世界の核保有国は国連常任理事国のみですが、実際はそれ以外にも確実なのがイスラエル、パキスタン、印度、怪しいのがイラン、そして北朝鮮と言われています。折角盛り上がって来たインドとの関係強化も、インドの核実験に対して日本からケチがつきそうで心配してます。インドはモラトリアムだと言っていますが、やるのなら、こっそりと誰にも知られずに行って下さい。
そもそも、民主党政権の弱腰だけが叩かれてますが、ことその問題に対しては自民党も同じ穴のむじなと言わざるを得ません。世論なるものに阿りつづけてきたつけが今噴き出していると言ってもいいでしょう。
「核兵器」の問題がその一つです。日本は米国の核の傘に守られているというのは周知の事実。ならば、他国が核を保有することにも、苦虫を噛んだような顔をして「しかたない」というのが本来の態度でしょう。それを「唯一の被爆国」だからという理由で、「核」に対して文句を言うのは通りませんね。仏人エマニュエル・トッド曰く「日本は唯一の被爆国として核兵器を持つ資格を持っている」なのですから、「核」について冷静に議論をしましょう。
もうひとつは、集団的自衛権の問題です。これは「保有すれども行使せず」とかいうわけのわからん解釈を踏襲していますが、これはきちんと認めるべきでしょう。今なら国会の議決でそれが可能になるのではないですか。集団的自衛権なしでは世界のほとんどの国が安全保障を果たす事ができないのですから、日本も胸を張って普通の国になればいいのです。
これは、直ちに解釈変更の政府見解を出した方がいい、というか出す事が急務だと思います。尖閣にも安保条約は発動されると米国は断言したのですから、共同防衛にあたってくれる番犬様、米国の艦船を日本が守れないというのはどう考えてもおかしいでしょう。仮にそんな事態になったら、日本は世界中から相手にされなくなるのは明らかですからね。
党利党略を超えて、とりあえず集団的自衛権の問題だけは何とか、まとめてほしいと切に願います。
今日はこれまで。
2010年10月29日金曜日
在日中国人と蒋介石の訓話
在日滞在中国人は、今在日朝鮮人の数を上回っています。それもここ10年間で2倍という驚異的な伸び率です。一体、彼らの在留資格はどうなっているのかが知りたい所ですが調べてはいません。銀座で働く中国人の夜の嬢から聞いた話ですが、中国人専用の求人、斡旋所があってそこを頼れば、まず夜の仕事にあぶれることはないと・・・。それと、それが少数派なのか、多数派なのかは判りませんが、日本人の男性と結婚しているケースもあります。そうやって、日本人の妻ならば、不法就労にはならないわけですから。ただし、これ偽装結婚です。そういう闇のマーケットがあり、それを仕切る組織があるのは明白です。
在日朝鮮人にしても、中国人にしても母国で様々な情報を仕入れてから来日するのでしょう、彼らは固まって一つのところに住居を構えます。昨日、ネットで知った(ソース元は週刊新潮の記事)のですが、川口市では約1万人の団地居住者の中の3000人が中国人で占められている団地があるとのこと。そこで生活習慣、マナー等の様々なトラブルを日本人との間に起こしているようです。ゴミの出し方によるトラブルや、自宅のトイレで用を足すと水道代がもったいないとして、団地の共用スペースで用を足す中国人(!?)とのトラブル等。ちょっと考えられないですが。どうもそういうことがあるようです。
さて、孫文の後を継ぎ中国国民党政府を率いた蒋介石は、若かりし頃日本の陸軍士官学校で学びました。候補生として勤務した先は新潟県高田の連隊だったと記憶してます。彼は日本人とそれが織りなす日本の文化、社会というものをきちんと理解した人物でした。
抗日戦のさなかでしょうか、彼は連戦連敗の自らの率いる軍隊に向かって、
「日本人を見習え」
と訓示をしました。中国人には公共心というものがなく、道路でも建物の中でも平気で唾を吐く、手鼻をかむ、用をたす、ゴミを捨てる・・・。そういう振る舞いに我慢がならなかったのです。さらに彼はこうも言います。
「日本の家庭はどんなに裕福でも1日1回しか温かいご飯を食べない」
これには、説明を要します。その頃の中国の軍人は、国民党政府軍も八路軍(共産軍)も皆、鍋釜傘を背負っていた、およそ近代軍の兵士とはほど遠いいでたちでした。中国人は貧しくても「冷や飯」は食べないそうです。それを食べるのは牢屋に入る罪人だけのようですね。したがって、行軍中でも戦闘中でも必ず炊飯しなければならなかったそうです。蒋介石はそういう自国民と、かつて暮らした日本の社会と日本人を比べてみて、あまりにも情けない自国民に慨嘆したのです。
団地の記事を読んだ時、このエピソードを思いだしました。中国人はちっとも変わっていないのですね。
昭和19年、その頃の国民党政府軍は米国から武器貸与を受け、装備だけは日本軍を完全に上回っていました。中国のミャンマーとの国境に近い雲南省に垃孟(らもう)・騰越(とうえつ)という所があります。ここは、同年6月それぞれの日本軍守備隊を約20倍も上回る規模の中国軍に攻められますが、日本軍守備隊は補給も途絶した中でおよそ3か月も戦い続けて全滅してしまいます。これは、中国軍が初めて日本軍に勝った大規模戦闘だったと記憶してます。蒋介石も嬉しかったと思いますが、彼は次のように訓示します。
「諸君らの戦いに満足している。しかし、敵である日本軍守備隊の勇戦、敢闘こそ東洋民族の範とすべきである」
連合国の一員として日本軍の無条件降伏を受け入れた蒋介石の国民党政府は、日本からの賠償金を受け取りませんでした。「怨みに報いるに徳を以てす」として。ただし、終戦間際には八路軍との仲が険悪になっており、来るべき内戦に備えて、日本軍の兵器・弾薬を相当数譲り受けることに成功したはずです。今なお中国に残り、日本政府がその処理におカネを出している「化学兵器遺棄問題」。これは果たして、本当に日本軍が遺棄したものなのか、それとも停戦交渉できちんと相手方に受け渡したものなのかの検証がされているのかどうかが疑問です。単なる想像ですが、僕は後者が圧倒的に多いと思います。後者ならば、遺棄の責任は日本にはありません。
ちなみに、前述垃孟の守備隊長は、金光恵次郎少佐といって二等兵から叩きあげで将官になった人です。下士官の時に少尉候補生の試験を受けて合格し、陸軍士官学校へ入学した人物です。二等兵から経験した人が少佐にまでなったのは、帝国陸軍の歴史の中でも僅か数例(?)くらいだと思います。
先日の、組織の「正統」と「異端」で考えれば、異端の極みといえるでしょうね。「異端」だったからこそ、あれだけ将兵が勇戦奮闘したのかも知れないと、勝手な想像をしてしまいます。
今日はこれまで。
垃孟・騰越の戦いについては、Wikiに詳細が出てます。ご参考までに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%89%E5%AD%9F%E3%83%BB%E9%A8%B0%E8%B6%8A%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
在日朝鮮人にしても、中国人にしても母国で様々な情報を仕入れてから来日するのでしょう、彼らは固まって一つのところに住居を構えます。昨日、ネットで知った(ソース元は週刊新潮の記事)のですが、川口市では約1万人の団地居住者の中の3000人が中国人で占められている団地があるとのこと。そこで生活習慣、マナー等の様々なトラブルを日本人との間に起こしているようです。ゴミの出し方によるトラブルや、自宅のトイレで用を足すと水道代がもったいないとして、団地の共用スペースで用を足す中国人(!?)とのトラブル等。ちょっと考えられないですが。どうもそういうことがあるようです。
さて、孫文の後を継ぎ中国国民党政府を率いた蒋介石は、若かりし頃日本の陸軍士官学校で学びました。候補生として勤務した先は新潟県高田の連隊だったと記憶してます。彼は日本人とそれが織りなす日本の文化、社会というものをきちんと理解した人物でした。
抗日戦のさなかでしょうか、彼は連戦連敗の自らの率いる軍隊に向かって、
「日本人を見習え」
と訓示をしました。中国人には公共心というものがなく、道路でも建物の中でも平気で唾を吐く、手鼻をかむ、用をたす、ゴミを捨てる・・・。そういう振る舞いに我慢がならなかったのです。さらに彼はこうも言います。
「日本の家庭はどんなに裕福でも1日1回しか温かいご飯を食べない」
これには、説明を要します。その頃の中国の軍人は、国民党政府軍も八路軍(共産軍)も皆、鍋釜傘を背負っていた、およそ近代軍の兵士とはほど遠いいでたちでした。中国人は貧しくても「冷や飯」は食べないそうです。それを食べるのは牢屋に入る罪人だけのようですね。したがって、行軍中でも戦闘中でも必ず炊飯しなければならなかったそうです。蒋介石はそういう自国民と、かつて暮らした日本の社会と日本人を比べてみて、あまりにも情けない自国民に慨嘆したのです。
団地の記事を読んだ時、このエピソードを思いだしました。中国人はちっとも変わっていないのですね。
昭和19年、その頃の国民党政府軍は米国から武器貸与を受け、装備だけは日本軍を完全に上回っていました。中国のミャンマーとの国境に近い雲南省に垃孟(らもう)・騰越(とうえつ)という所があります。ここは、同年6月それぞれの日本軍守備隊を約20倍も上回る規模の中国軍に攻められますが、日本軍守備隊は補給も途絶した中でおよそ3か月も戦い続けて全滅してしまいます。これは、中国軍が初めて日本軍に勝った大規模戦闘だったと記憶してます。蒋介石も嬉しかったと思いますが、彼は次のように訓示します。
「諸君らの戦いに満足している。しかし、敵である日本軍守備隊の勇戦、敢闘こそ東洋民族の範とすべきである」
連合国の一員として日本軍の無条件降伏を受け入れた蒋介石の国民党政府は、日本からの賠償金を受け取りませんでした。「怨みに報いるに徳を以てす」として。ただし、終戦間際には八路軍との仲が険悪になっており、来るべき内戦に備えて、日本軍の兵器・弾薬を相当数譲り受けることに成功したはずです。今なお中国に残り、日本政府がその処理におカネを出している「化学兵器遺棄問題」。これは果たして、本当に日本軍が遺棄したものなのか、それとも停戦交渉できちんと相手方に受け渡したものなのかの検証がされているのかどうかが疑問です。単なる想像ですが、僕は後者が圧倒的に多いと思います。後者ならば、遺棄の責任は日本にはありません。
ちなみに、前述垃孟の守備隊長は、金光恵次郎少佐といって二等兵から叩きあげで将官になった人です。下士官の時に少尉候補生の試験を受けて合格し、陸軍士官学校へ入学した人物です。二等兵から経験した人が少佐にまでなったのは、帝国陸軍の歴史の中でも僅か数例(?)くらいだと思います。
先日の、組織の「正統」と「異端」で考えれば、異端の極みといえるでしょうね。「異端」だったからこそ、あれだけ将兵が勇戦奮闘したのかも知れないと、勝手な想像をしてしまいます。
今日はこれまで。
垃孟・騰越の戦いについては、Wikiに詳細が出てます。ご参考までに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%89%E5%AD%9F%E3%83%BB%E9%A8%B0%E8%B6%8A%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
2010年10月28日木曜日
あまりにもひどい・・・対中融和に必要なもの?
10月27日付日経朝刊31面の経済教室。「中国を考える―関係再構築へ(下)」です。
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹である瀬口清之なる人の文章でした。
タイトルは「『民』主導の交流で融和を」として、次の3つのポイントが挙げられています。
・日中関係は改善と悪化の繰り返しの歴史
・教育による反日感情は実体験で覆される
・中国沿岸部の主要都市は落ち着いた状況
今日は、この記事について書きます。
最初に結論を言っておきます。、こういう、一見冷静にみえ、実は何の価値もない論調を有難がる世の中の偽善が僕には我慢できないのです。要するに逃げているわけですね、目前の問題から。
この人は中国が一党独裁の共産政権だということを完全に無視しているとしか思えない。したがって、記事に書かれた内容は全くの絵空事、空想にすぎない。
その理由について述べます。先ず、冒頭からして首をかしげざるを得ないのですが、
「日中関係は改善と悪化の繰り返しである」と述べたあと、過去の日中間の問題である、毒入りギョーザ事件、靖国神社参拝問題、中国の原子力潜水艦による領海侵犯を挙げ、次にこう続ける「その都度両国政府が徐々に歩み寄って関係修復に努めてきた。今もその努力の真っ最中である」と。
僕は、寡聞にして知らないのですが、これは全部解決した問題でしょうか?もしかしたら、一つとして片付いていない問題ではないでしょうか。しかも、「両国政府が徐々に歩み寄って」とあるのは、明らかに事実と違いますね。いつも歩み寄る、というかにじり寄ることをしているのは、両国政府ではなく脅しに屈する「日本」のみです。また、今回両国関係がこじれた原因は、筆者が挙げた過去の例とは次元が異なる「領土」問題と日本官憲への暴力行為です。これと「ギョーザ」の事件は並列には論じられないでしょう。
筆者は、1994年以降のいわゆる「反日教育」が、中国の若者に対して容易に「反日感情」をもたらす原因となっていると述べています。そうですね。これはまさしくその通りでしょう。しかし、次いでこう述べるのです。
「ただ、そうした教育を受けた若者たちも日本に来て日本人の礼儀正しさ、細やかな気遣い、思いやりなどに直接接すると日本に対するイメージが大きく変わり、それまでの反日感情が和らぐケースが多い。だからこそ、両国政府が進める青年交流の意義は大きい。最近の中国人の日本旅行ブームも同様の効果を持つ。学習した理屈から生れた感情は、実体験によって覆される。」
なるほど、その効果はあるのかもしれません。仮にそうした「反日」を翻した中国の若者が多くなったとしましょう。しかし、そうした若者の民意など、平気で戦車で踏みにじるのが中国共産党政権であることをお忘れか。未だにインタ―ネットまで検閲して情報操作をしていることをお忘れか。そんなものは、中国政府の意に沿わなければ何の意味もないことでしょう。それに大事な事を忘れていますね。
「実体験」など、「感情」によって容易に覆されることもあるということ・・・。
筆者は日中間の経済・文化面の交流は最近10年間でかなり高まって来ているとし、中国の経済発展という目的と、売り先を探している民間企業のマッチングが、両国間の政治・外交レベルでも好影響を及ぼしてきたとしています。その例として、小泉政権時代に冷え込んだ日中関係下においても、民間企業を主体とする経済面の活発な交流が両国間で維持されていたではないかということですね。それが、小泉政権後の安陪内閣で両国関係好転の原因ともなったと。
これも「?」ですな。たまたま、中国政府の意向が「靖国で言う事を聞かない小泉をほっていて、経済優先だ」という選択肢をとったにすぎないのではないでしょうか。少なくとも、中国には民意を反映した政治などあるわけないのですから、これをもって、ことさらに民間交流を持ちあげるのはおかしいですよ。今回のケースは経済(レアアース)も、脅しのカードとしたわけでしょ、中国政府は。
「今回の反日デモに関する報道でも、北京、上海など沿岸主要都市の落ち着いた状況や、日本製品の売れ行きへの影響がほとんど見られなていない事実は詳しく報じられていない。」
と述べています。確かに、デモが頻発しているのは内陸部が多く、デモが若者の不満のはけ口になっているとの記事がありますね。比較的豊かな沿岸部は筆者の言う通りなのでしょう。しかし、あえて言わせてもらえば、日本人だって「中国全土がデモの嵐だ」などとは考えていませんよ。さらにいうなら、「日本での反中デモ」も報じられていませんね。日本人が冷静さを失った原因はマスコミにありとでも言いたいのでしょうか。問題はデモ云々ではなくてですね、中国政府の横暴な振る舞いと、その言いなりになった日本政府の弱腰なのですよ。
最後に筆者はまた妙なこと言います。
「安全保障分野では2国間の異なる立場や考え方の対立の解消は難しい。しかもその対立の火種はささいな問題から始まる。今回の中国漁船衝突問題がその典型例である」
いつ日中間で安全保障の分野で意見が大きく衝突したのでしょうか。しかも、今回の漁船衝突問題は「ささい」な問題ではどう考えてもないですね。国家の主権にかかわる大問題だから、国会でも街なかでも大きな声があがってるのではないですか。もしかして、日本の状況をご存じないのかな。
「しかも両国とも自国民の感情を無視できないことから安易に妥協することが難しく双方の主張は平行線をたどりやすい」
何度も言いますが、中国は「自国民の感情」など何とも思ってないんですって。あれは日本への外交カードとしてやらせているだけなんですから。
要するにこの筆者は、政治はおいといて、民間主導の経済・文化交流によりこの情況を融和しようと言いたいらしいですね。最後の締めくくりはこうあります。
「民間企業の経営者や幹部社員は自らが主役であることを自覚し、『民主導』の意識を強くもつことが大切である」
おお、福沢諭吉ばりの立派なご意見です。何度も言います。相手は共産中国。意見の多様化など一切認めない共産党独裁政権。この志は大変立派ですとだけ言っておきます。
この人の認識で欠けているものは、日本国内に高まりつつあるナショナリズムですね。そして、またもや日本にだけ「負わせ」て恥じないその意識が僕には我慢がならない。こういうのは、知識人の吐くご高説でも何でもなく、単なる卑怯者の言い訳だと思います。
あほくさ・・・・。
今日はこれまで。
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹である瀬口清之なる人の文章でした。
タイトルは「『民』主導の交流で融和を」として、次の3つのポイントが挙げられています。
・日中関係は改善と悪化の繰り返しの歴史
・教育による反日感情は実体験で覆される
・中国沿岸部の主要都市は落ち着いた状況
今日は、この記事について書きます。
最初に結論を言っておきます。、こういう、一見冷静にみえ、実は何の価値もない論調を有難がる世の中の偽善が僕には我慢できないのです。要するに逃げているわけですね、目前の問題から。
この人は中国が一党独裁の共産政権だということを完全に無視しているとしか思えない。したがって、記事に書かれた内容は全くの絵空事、空想にすぎない。
その理由について述べます。先ず、冒頭からして首をかしげざるを得ないのですが、
「日中関係は改善と悪化の繰り返しである」と述べたあと、過去の日中間の問題である、毒入りギョーザ事件、靖国神社参拝問題、中国の原子力潜水艦による領海侵犯を挙げ、次にこう続ける「その都度両国政府が徐々に歩み寄って関係修復に努めてきた。今もその努力の真っ最中である」と。
僕は、寡聞にして知らないのですが、これは全部解決した問題でしょうか?もしかしたら、一つとして片付いていない問題ではないでしょうか。しかも、「両国政府が徐々に歩み寄って」とあるのは、明らかに事実と違いますね。いつも歩み寄る、というかにじり寄ることをしているのは、両国政府ではなく脅しに屈する「日本」のみです。また、今回両国関係がこじれた原因は、筆者が挙げた過去の例とは次元が異なる「領土」問題と日本官憲への暴力行為です。これと「ギョーザ」の事件は並列には論じられないでしょう。
筆者は、1994年以降のいわゆる「反日教育」が、中国の若者に対して容易に「反日感情」をもたらす原因となっていると述べています。そうですね。これはまさしくその通りでしょう。しかし、次いでこう述べるのです。
「ただ、そうした教育を受けた若者たちも日本に来て日本人の礼儀正しさ、細やかな気遣い、思いやりなどに直接接すると日本に対するイメージが大きく変わり、それまでの反日感情が和らぐケースが多い。だからこそ、両国政府が進める青年交流の意義は大きい。最近の中国人の日本旅行ブームも同様の効果を持つ。学習した理屈から生れた感情は、実体験によって覆される。」
なるほど、その効果はあるのかもしれません。仮にそうした「反日」を翻した中国の若者が多くなったとしましょう。しかし、そうした若者の民意など、平気で戦車で踏みにじるのが中国共産党政権であることをお忘れか。未だにインタ―ネットまで検閲して情報操作をしていることをお忘れか。そんなものは、中国政府の意に沿わなければ何の意味もないことでしょう。それに大事な事を忘れていますね。
「実体験」など、「感情」によって容易に覆されることもあるということ・・・。
筆者は日中間の経済・文化面の交流は最近10年間でかなり高まって来ているとし、中国の経済発展という目的と、売り先を探している民間企業のマッチングが、両国間の政治・外交レベルでも好影響を及ぼしてきたとしています。その例として、小泉政権時代に冷え込んだ日中関係下においても、民間企業を主体とする経済面の活発な交流が両国間で維持されていたではないかということですね。それが、小泉政権後の安陪内閣で両国関係好転の原因ともなったと。
これも「?」ですな。たまたま、中国政府の意向が「靖国で言う事を聞かない小泉をほっていて、経済優先だ」という選択肢をとったにすぎないのではないでしょうか。少なくとも、中国には民意を反映した政治などあるわけないのですから、これをもって、ことさらに民間交流を持ちあげるのはおかしいですよ。今回のケースは経済(レアアース)も、脅しのカードとしたわけでしょ、中国政府は。
「今回の反日デモに関する報道でも、北京、上海など沿岸主要都市の落ち着いた状況や、日本製品の売れ行きへの影響がほとんど見られなていない事実は詳しく報じられていない。」
と述べています。確かに、デモが頻発しているのは内陸部が多く、デモが若者の不満のはけ口になっているとの記事がありますね。比較的豊かな沿岸部は筆者の言う通りなのでしょう。しかし、あえて言わせてもらえば、日本人だって「中国全土がデモの嵐だ」などとは考えていませんよ。さらにいうなら、「日本での反中デモ」も報じられていませんね。日本人が冷静さを失った原因はマスコミにありとでも言いたいのでしょうか。問題はデモ云々ではなくてですね、中国政府の横暴な振る舞いと、その言いなりになった日本政府の弱腰なのですよ。
最後に筆者はまた妙なこと言います。
「安全保障分野では2国間の異なる立場や考え方の対立の解消は難しい。しかもその対立の火種はささいな問題から始まる。今回の中国漁船衝突問題がその典型例である」
いつ日中間で安全保障の分野で意見が大きく衝突したのでしょうか。しかも、今回の漁船衝突問題は「ささい」な問題ではどう考えてもないですね。国家の主権にかかわる大問題だから、国会でも街なかでも大きな声があがってるのではないですか。もしかして、日本の状況をご存じないのかな。
「しかも両国とも自国民の感情を無視できないことから安易に妥協することが難しく双方の主張は平行線をたどりやすい」
何度も言いますが、中国は「自国民の感情」など何とも思ってないんですって。あれは日本への外交カードとしてやらせているだけなんですから。
要するにこの筆者は、政治はおいといて、民間主導の経済・文化交流によりこの情況を融和しようと言いたいらしいですね。最後の締めくくりはこうあります。
「民間企業の経営者や幹部社員は自らが主役であることを自覚し、『民主導』の意識を強くもつことが大切である」
おお、福沢諭吉ばりの立派なご意見です。何度も言います。相手は共産中国。意見の多様化など一切認めない共産党独裁政権。この志は大変立派ですとだけ言っておきます。
この人の認識で欠けているものは、日本国内に高まりつつあるナショナリズムですね。そして、またもや日本にだけ「負わせ」て恥じないその意識が僕には我慢がならない。こういうのは、知識人の吐くご高説でも何でもなく、単なる卑怯者の言い訳だと思います。
あほくさ・・・・。
今日はこれまで。
2010年10月27日水曜日
トヨタ神話 組織の正統と異端
最近はすっかり「日経ビジネス」を読まなくなりましたが、かつて毎週目を通していた時にはよく「トヨタ」の記事が出ていました。今でも取り上げられる頻度は多いのでしょうか。アメリカでリコール隠しだ何だという「騒動」があってからは、かつての「トヨタ神話」も過去の栄光ですね。販売台数で世界一を射程に捉えたと思ったら、急転直下の出来事でした。
もう少し詳しく見てみます。
2008年9月のリーマンショック前は、トヨタの株価は5000円前後でした。リーマンショック後は3000円にまで下落します。今現在も2800円前後です。意外なことですが、トヨタの株は2007年以降じりじりと値を下げていました。2007年といえば、連結営業利益で2兆円をはじき出し、販売台数で世界一になりそうだと報じられていた頃です。しかし、株価は2007年初頭の8000円から2008年半ばには5000円を割り込んでいたのです。
以前紹介した「競争の作法」。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post_09.html
という本の中に書いてありましたが、その著者は「トヨタの経営者は『ほどほど』を忘れた」と言っています。ちょっとご紹介します。
「自動車販売実績が世界一になることに、きっと良いことがあったのだろうが、経営者が自らの言葉で『世界一の意味』を語らなければ、それが何なのかは明確にならないであろう。残念ながら、『世界一の意味」は、トヨタ首脳陣から語られなかった。
『営業利益2兆円突破』の方は、ある意味でもっとやっかいである。よほど将来性のある新規事業計画がなければ、2兆円規模の収益を企業内に抱えるやいなや、深刻な問題が起きるのは火を見るより明らかである。企業内にそんな膨大な貯金が蓄えられてしまえば、経営者も、従業員もたがが緩んでしまう。
賢明な経営者であれば、技術開発投資の資金をある程度確保した上で2兆円の残りの収益を株主に還元するであろう。そうすれば良いことずくめである。企業からみれば、経営の規律も高まり、従業員のモラルも維持できる。公的年金や企業年金の基金の多くは、トヨタ株を保有しているので、年金財政が大幅に改善して、今の年金受給者にも、将来の退職者にも、朗報であろう。
しかし、トヨタ自動車には、2兆円のほとんどを株主に還元する心づもりはなかったようだ。『世界一』を目指して現在の事業規模をひたすら拡大することにほとんどを注ぎ込んでしまった。そんな経営姿勢にあきれはてた一部の株主たちは、2007年初ごろから7000円から8000円の相場でトヨタ株を売却しはじめたのであろう。おそらくは、こうした株主の動きが、2007年初から株価が低下する契機となった。」
いかがでしょう?僕はなるほどと思ってしまいます。そして、著者は従業員のたがが緩んだことがリコールにもつながっていったのではないかと、その遠因として挙げています。いかにトヨタといえども、すべての経営者が賢明な判断、決断を続けることは不可能だったわけですね。
現社長は、豊田章一郎初代トヨタ社長の長男だそうですが、江戸時代の商家のように娘婿だったら?とも考えてしまいます。そういえば、スズキの現社長は、娘婿に社長業を任せる(た?)はずですね。すぐに亡くなられて、復帰しましたが。
かつての帝国海軍の人事制度は非常に硬直的で、戦時においても抜擢人事が皆無でした。これは敗因の一つであると思います。この硬直さは江戸幕府以上ですよ・・・。適材適所が為し得なかっただけでなく、指揮官もそれを補佐し支える参謀も、同じような教育を受けてきた同じような思考パターンしか生み出せなかったわけです。即ち組織の「正統」しか運営の中枢にいなかったわけですね。それも成績優秀者しかその仲間入りが出来なかったのです。それがたび重なる負け戦の原因の一つであったわけです。
組織を改革する、または飛躍発展させるためには、従来の枠に囚われることのない自由な発想が必要だということに誰も異論をはさまないと思います。しかし、その自由な発想が、異端の新参者によって持たされたりすると塗炭に拒否反応が起こるのではないでしょうか。ちょうど、誰もが「会議室では良いアイデアが出ない」と知っているのに、会議室以外で会議をしようともしない、または認めないという姿勢と似ているかも知れません。
前者の拒否反応は、機能体組織であるにもかかわらず、共同体組織としての防衛本能が働くからですね。後者の会議室問題は、たた慣例に囚われ、本質を見失っているだけでしょう。
ま~くんが、新卒の採用人事をやっています。話を聞くと、「酷い」のが増えているらしいですが、逆にいえば彼の眼鏡にかなう人間よりも、目を細めざるを得ない異端の人間の方が、組織や業界にかえって風穴を開けてくれるかもしれません。例えば採用に際して、社長と意見が分れる人間ほど面白みがあるかも知れませんよ。とはいえ、雇ってみて、身近に接してみて、それからでなければほんとのところはわからないでしょうね。僕なんか、この年齢になっても「人」はわからないなと長歎息の毎日ですから。
ある種の「賭け」ですな・・・。
「大事の前の思案は軽くすべし」(葉隠)
今日はこれまで。
もう少し詳しく見てみます。
2008年9月のリーマンショック前は、トヨタの株価は5000円前後でした。リーマンショック後は3000円にまで下落します。今現在も2800円前後です。意外なことですが、トヨタの株は2007年以降じりじりと値を下げていました。2007年といえば、連結営業利益で2兆円をはじき出し、販売台数で世界一になりそうだと報じられていた頃です。しかし、株価は2007年初頭の8000円から2008年半ばには5000円を割り込んでいたのです。
以前紹介した「競争の作法」。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post_09.html
という本の中に書いてありましたが、その著者は「トヨタの経営者は『ほどほど』を忘れた」と言っています。ちょっとご紹介します。
「自動車販売実績が世界一になることに、きっと良いことがあったのだろうが、経営者が自らの言葉で『世界一の意味』を語らなければ、それが何なのかは明確にならないであろう。残念ながら、『世界一の意味」は、トヨタ首脳陣から語られなかった。
『営業利益2兆円突破』の方は、ある意味でもっとやっかいである。よほど将来性のある新規事業計画がなければ、2兆円規模の収益を企業内に抱えるやいなや、深刻な問題が起きるのは火を見るより明らかである。企業内にそんな膨大な貯金が蓄えられてしまえば、経営者も、従業員もたがが緩んでしまう。
賢明な経営者であれば、技術開発投資の資金をある程度確保した上で2兆円の残りの収益を株主に還元するであろう。そうすれば良いことずくめである。企業からみれば、経営の規律も高まり、従業員のモラルも維持できる。公的年金や企業年金の基金の多くは、トヨタ株を保有しているので、年金財政が大幅に改善して、今の年金受給者にも、将来の退職者にも、朗報であろう。
しかし、トヨタ自動車には、2兆円のほとんどを株主に還元する心づもりはなかったようだ。『世界一』を目指して現在の事業規模をひたすら拡大することにほとんどを注ぎ込んでしまった。そんな経営姿勢にあきれはてた一部の株主たちは、2007年初ごろから7000円から8000円の相場でトヨタ株を売却しはじめたのであろう。おそらくは、こうした株主の動きが、2007年初から株価が低下する契機となった。」
いかがでしょう?僕はなるほどと思ってしまいます。そして、著者は従業員のたがが緩んだことがリコールにもつながっていったのではないかと、その遠因として挙げています。いかにトヨタといえども、すべての経営者が賢明な判断、決断を続けることは不可能だったわけですね。
現社長は、豊田章一郎初代トヨタ社長の長男だそうですが、江戸時代の商家のように娘婿だったら?とも考えてしまいます。そういえば、スズキの現社長は、娘婿に社長業を任せる(た?)はずですね。すぐに亡くなられて、復帰しましたが。
かつての帝国海軍の人事制度は非常に硬直的で、戦時においても抜擢人事が皆無でした。これは敗因の一つであると思います。この硬直さは江戸幕府以上ですよ・・・。適材適所が為し得なかっただけでなく、指揮官もそれを補佐し支える参謀も、同じような教育を受けてきた同じような思考パターンしか生み出せなかったわけです。即ち組織の「正統」しか運営の中枢にいなかったわけですね。それも成績優秀者しかその仲間入りが出来なかったのです。それがたび重なる負け戦の原因の一つであったわけです。
組織を改革する、または飛躍発展させるためには、従来の枠に囚われることのない自由な発想が必要だということに誰も異論をはさまないと思います。しかし、その自由な発想が、異端の新参者によって持たされたりすると塗炭に拒否反応が起こるのではないでしょうか。ちょうど、誰もが「会議室では良いアイデアが出ない」と知っているのに、会議室以外で会議をしようともしない、または認めないという姿勢と似ているかも知れません。
前者の拒否反応は、機能体組織であるにもかかわらず、共同体組織としての防衛本能が働くからですね。後者の会議室問題は、たた慣例に囚われ、本質を見失っているだけでしょう。
ま~くんが、新卒の採用人事をやっています。話を聞くと、「酷い」のが増えているらしいですが、逆にいえば彼の眼鏡にかなう人間よりも、目を細めざるを得ない異端の人間の方が、組織や業界にかえって風穴を開けてくれるかもしれません。例えば採用に際して、社長と意見が分れる人間ほど面白みがあるかも知れませんよ。とはいえ、雇ってみて、身近に接してみて、それからでなければほんとのところはわからないでしょうね。僕なんか、この年齢になっても「人」はわからないなと長歎息の毎日ですから。
ある種の「賭け」ですな・・・。
「大事の前の思案は軽くすべし」(葉隠)
今日はこれまで。
2010年10月26日火曜日
自衛隊観閲式によせて―抜刀隊の歌―
10月24日、日曜日は自衛隊の観閲式でした。
その模様がネットで観られるなど、便利な世の中になったものです。観閲式が朝霞で行われる時には、わが家の上空を自衛隊機が編隊で飛んでいきます。軍事オタクである僕は、双眼鏡をはなせません・・・。
平成2年か3年に、観閲式の予行演習を父親と見に行ったことがあります。国内・外の要人が招かれていないだけで、部隊の行進等は本番と変わりありません。
陸上自衛隊の行進曲は「陸軍分列行進曲」と呼ばれるものです。これは日本で最初につくられた軍歌なのです。元々の名を「抜刀隊の歌」。これについては、以前ここで書きました。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2009/07/blog-post_5331.html
父親も軍事教練中はこの曲で行進の練習をしたそうです。
昭和18年10月の「学徒出陣」。雨の中での出陣学徒の壮行会で流れたのもこの曲、「我等もとより生還を期せず」という勇ましくも、かつ悲痛な言葉を出陣学徒の代表が述べました。
「頭~っ右」
と向けられた先の菅総理は、こういう歴史というかエピソードをご存じないでしょうね。
今日はこれまで。
その模様がネットで観られるなど、便利な世の中になったものです。観閲式が朝霞で行われる時には、わが家の上空を自衛隊機が編隊で飛んでいきます。軍事オタクである僕は、双眼鏡をはなせません・・・。
平成2年か3年に、観閲式の予行演習を父親と見に行ったことがあります。国内・外の要人が招かれていないだけで、部隊の行進等は本番と変わりありません。
陸上自衛隊の行進曲は「陸軍分列行進曲」と呼ばれるものです。これは日本で最初につくられた軍歌なのです。元々の名を「抜刀隊の歌」。これについては、以前ここで書きました。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2009/07/blog-post_5331.html
父親も軍事教練中はこの曲で行進の練習をしたそうです。
昭和18年10月の「学徒出陣」。雨の中での出陣学徒の壮行会で流れたのもこの曲、「我等もとより生還を期せず」という勇ましくも、かつ悲痛な言葉を出陣学徒の代表が述べました。
「頭~っ右」
と向けられた先の菅総理は、こういう歴史というかエピソードをご存じないでしょうね。
今日はこれまで。
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