一昨年でしたか、「弁当男子」なる言葉が話題になりました。
会社にお手製の弁当を自作して持っていく男子を表す言葉らしい。最近は○○男子とつく言葉が多いような気がします。「草食系男子」とかね・・・。
数年前、世を睥睨するように闊歩していた「山姥ギャル」は一体どこへ行ったのでしょう。
そういえば「ギャル男」なる言葉もありますね。まったく意味のわからん世の中だ・・・。
「おれみたような腰弁は、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、蛤爾賓(はるびん)へ行って殺される方がいいんだよ」
夏目漱石の「門」の主人公宗助の言うセリフです。「伊藤さん」とあるのは、伊藤博文のこと。僕は、「弁当男子」という言葉を聞いた時、ここで使われる「腰弁」という言葉を思い出しました。しがない月給とりを表した言葉です。「弁当男子」なる言葉に「しがない」というニュアンスは含まれていないとは思いますが、面白い社会現象だと思います。弁当は女子がつくるものとは思いませんが、そういう社会的、文化的コードを逸脱した男子が出て来たのは、非常に興味深い現象であると思います。
「男子」というものの価値がこれだけ下がった時代はないでしょうね。オリンピックでも好成績を残すのは「女子」の方が多いような気がしますし、最近は「ジェンダーフリー」とかいう、性差をなくすようなことも盛んに言われています。確かに、男女による賃金の差別とか雇用機会の不均等とか、そういうものはなくした方がいいに決まっていますが、男女の役割というものは違って当然だし、それを差別だと感じるのなら、それを宿命として受け入れるところから物事は考えるべきでしょう。違うのかな。
今日はこれまで。
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2010年12月7日火曜日
2010年12月6日月曜日
忠孝礼 江戸期の庶民教育
忠孝をはげまし、夫婦兄弟諸親類にむつまじく、召仕之者に至迄憐愍(れんびん)をくはふべし。若不忠不孝之者あらば、可為重罪事。
これは、5代将軍綱吉が1682年に全国に建てた高札の条文です。重罪の威嚇をもって庶民に「忠孝」を強制しているもので、「忠孝礼」と呼ばれています。綱吉施政の特徴の一つは、儒教的道徳を庶民に指し示したことにあり、以前紹介した「生類憐みの令」なるものも、その一環であると考えられます。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/09/2.html
さて、庶民教育において「寺子屋」というものが果たした役割が大きいことは想像がつくと思います。その寺子屋の急激な増加は、享保期以降のこととされています。8代将軍吉宗の頃からです。吉宗に仕えた儒者、室鳩巣(むろきゅうそう)の記録によれば、その頃江戸市中には840人もの手習いの師匠がいたと書かれています。それだけの寺子屋が存在していたと見るべきでしょう。
その寺子屋で手習いの手本として使われていたのが「六愉衍義大意(りくゆえんぎたいい)」と呼ばれるもので、吉宗が室鳩巣にこれを命じ、室鳩巣は荻生徂徠に依頼して出来上がったものです。
六愉とは
1.孝順父母(父母に孝順なれ)
2.尊敬長上(長上を尊敬せよ)
3.和睦郷里(郷里に和睦せよ)
4.教訓子孫(子孫を教訓せよ)
5.各安生理(おのおの生理を安んぜよ)
6.毋作非為(非為をなすなかれ)
という6項目の道徳が説かれたもので、1652年に中国清朝から日本にもたらされたものです。吉宗はこれを献上され、庶民教育の教科書に仕立て上げようとしたわけです。したがって、この「六愉衍義大意」は、わが国初の国定教科書といえるものです。
これは、江戸期を通じてかなり普及したと言われています。庶民の日常の道徳観念として広がったということです。
江戸期には、「孝義録」「続編孝義録料」「忠孝誌」などの全国の百姓・町人で、善行により表彰された者を集めた記録があります。その表彰の理由は様々ですが、
「概していえば、一身の労苦をいとわず、零落した主家や貧しい父母のために働いて経済的に生活を助け、あるいは看病をするという事例が多い」(「江戸時代を考える」辻達也)
らしいのですが、同様に辻によればその中には、件数は少ないものの、病気の父のために本を読んでやるとか、零落した主家を去らずにその家の者に読み書きを教えるといった、下層民の教養に関する事例もあるとのこと。2つばかり紹介しましょう。
1791年(寛政3年)
深川北町 さよ 28歳 店借 あんま春養養女
家が貧しいので、武家に奉公する、そのとき、手習い、琴を学ぶ。読書を好み、給金の余りで四書五経を求めて読む。暇をとってのち、家計の助けに、近所の女子に読み書き、琴、女の道を教える。結婚せず、両親に孝養を尽くす。
1813年(文化10年)
深川蛤町 善太郎 16歳 店借
父は病身、母は病死。祖母と二人で漁やむき身の手伝いをし、父を養う。商いの手すきに手習いをし、弟にも教える。
この六愉は今の教育からすっぽりと抜け落ちているものでしょうね。僕はそう思います。「仰げば尊し」の歌詞にある「身を立て名を挙げやよはげめよ」が、自身の立身出世主義にあるとかいう馬鹿な解釈が世を覆うに至っては、何をかいわんやです・・・。
この教育は今の世に合わないのでしょうか?今の世「民主主義」社会にです。そんなことはないでしょう。民主主義などという政治体制の一つに合わせて人間を教育する事は、いい加減にやめたらどうかとうのが僕の意見です。「政治」から人間を語り、教育するなどおかしいと思いませんか?
かつて「ミスター日教組」と呼ばれた槙枝元文氏が亡くなられたと日経の死亡記事に出てました。彼は元日教組委員長、元総評議長を務めた左翼の「闘士」でもありました。そんな氏ですが、酔うとよくうたう歌は「同期の桜」だったと聞いたことがあります。僕とは思想信条が水と油の如く異なると思う氏も、その一点のみつながるものがあります。彼もまた「日本人」だったと思うからです。
今日はこれまで。
これは、5代将軍綱吉が1682年に全国に建てた高札の条文です。重罪の威嚇をもって庶民に「忠孝」を強制しているもので、「忠孝礼」と呼ばれています。綱吉施政の特徴の一つは、儒教的道徳を庶民に指し示したことにあり、以前紹介した「生類憐みの令」なるものも、その一環であると考えられます。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/09/2.html
さて、庶民教育において「寺子屋」というものが果たした役割が大きいことは想像がつくと思います。その寺子屋の急激な増加は、享保期以降のこととされています。8代将軍吉宗の頃からです。吉宗に仕えた儒者、室鳩巣(むろきゅうそう)の記録によれば、その頃江戸市中には840人もの手習いの師匠がいたと書かれています。それだけの寺子屋が存在していたと見るべきでしょう。
その寺子屋で手習いの手本として使われていたのが「六愉衍義大意(りくゆえんぎたいい)」と呼ばれるもので、吉宗が室鳩巣にこれを命じ、室鳩巣は荻生徂徠に依頼して出来上がったものです。
六愉とは
1.孝順父母(父母に孝順なれ)
2.尊敬長上(長上を尊敬せよ)
3.和睦郷里(郷里に和睦せよ)
4.教訓子孫(子孫を教訓せよ)
5.各安生理(おのおの生理を安んぜよ)
6.毋作非為(非為をなすなかれ)
という6項目の道徳が説かれたもので、1652年に中国清朝から日本にもたらされたものです。吉宗はこれを献上され、庶民教育の教科書に仕立て上げようとしたわけです。したがって、この「六愉衍義大意」は、わが国初の国定教科書といえるものです。
これは、江戸期を通じてかなり普及したと言われています。庶民の日常の道徳観念として広がったということです。
江戸期には、「孝義録」「続編孝義録料」「忠孝誌」などの全国の百姓・町人で、善行により表彰された者を集めた記録があります。その表彰の理由は様々ですが、
「概していえば、一身の労苦をいとわず、零落した主家や貧しい父母のために働いて経済的に生活を助け、あるいは看病をするという事例が多い」(「江戸時代を考える」辻達也)
らしいのですが、同様に辻によればその中には、件数は少ないものの、病気の父のために本を読んでやるとか、零落した主家を去らずにその家の者に読み書きを教えるといった、下層民の教養に関する事例もあるとのこと。2つばかり紹介しましょう。
1791年(寛政3年)
深川北町 さよ 28歳 店借 あんま春養養女
家が貧しいので、武家に奉公する、そのとき、手習い、琴を学ぶ。読書を好み、給金の余りで四書五経を求めて読む。暇をとってのち、家計の助けに、近所の女子に読み書き、琴、女の道を教える。結婚せず、両親に孝養を尽くす。
1813年(文化10年)
深川蛤町 善太郎 16歳 店借
父は病身、母は病死。祖母と二人で漁やむき身の手伝いをし、父を養う。商いの手すきに手習いをし、弟にも教える。
(出所「江戸時代を考える」辻達也)
この六愉は今の教育からすっぽりと抜け落ちているものでしょうね。僕はそう思います。「仰げば尊し」の歌詞にある「身を立て名を挙げやよはげめよ」が、自身の立身出世主義にあるとかいう馬鹿な解釈が世を覆うに至っては、何をかいわんやです・・・。
この教育は今の世に合わないのでしょうか?今の世「民主主義」社会にです。そんなことはないでしょう。民主主義などという政治体制の一つに合わせて人間を教育する事は、いい加減にやめたらどうかとうのが僕の意見です。「政治」から人間を語り、教育するなどおかしいと思いませんか?
かつて「ミスター日教組」と呼ばれた槙枝元文氏が亡くなられたと日経の死亡記事に出てました。彼は元日教組委員長、元総評議長を務めた左翼の「闘士」でもありました。そんな氏ですが、酔うとよくうたう歌は「同期の桜」だったと聞いたことがあります。僕とは思想信条が水と油の如く異なると思う氏も、その一点のみつながるものがあります。彼もまた「日本人」だったと思うからです。
今日はこれまで。
2010年12月5日日曜日
当世名前事情その2
毎年発表される子どもの名前ランキング。
最新の発表によると、女児の名前で27年ぶりに「子」という字のつく名前がランクインされてました。
最近の女児の名前はキャバ嬢みたいな名前が多いと、以前ここで書きました。
そんな中で、娘の名前は27年ぶりにランクインされてました。
おお、時代の先取り!偶然にもまーくんちんの娘と同じ名前なんだよね・・・。
名前といえば、日本が韓国併合時代に為した悪行と言われている「創氏改名」なるものがあります。
「名前までむりやり奪われた!」と彼らは言ってますが、大ウソですね。あれは希望者だけですので。それも、少なくない朝鮮半島生まれの人間がそれを望んだといいます。従来の名前だと差別を受けるから、日本名を名乗らせてくれと申し出たわけです。
朝鮮半島は、ずっと中国大陸の強い影響下にありました。漢字3文字であらわされる名前は、確か明の時代に、彼らが自ら中国式の名前に変えたんですよ。それ以前の朝鮮半島の名前とは全く別物です。そうして未だにその形式の名前を使っているのです。
最近は、中国の影に隠れていますが、朝鮮半島の国もまた日本にとっては厄介な国ですね。
今日はこれまで。
2010年12月4日土曜日
人間というもの その他いろいろ
今日は取り立てて主題もなく、ただとりとめのないことを書きます。
ある青年との出会いをここで書きました。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/11/blog-post_15.html
まーくんと先日会った時、その話をして「僕の知識など足元にも及ばない」と話したところ、彼も驚いていましたが、簡単に言うと僕の知識はあくまでも「新書」レベルなのに対し、彼の知識は「全集」レベルなのです。そんな比喩がぴったりかと思います。
その彼と、昨今の「左」ではない「デモ」についてもいろいろと話をしました。
「これだけ政治的に熱狂できる」人間がいるというのは興味深いと・・・。ただ、つい最近も書きましたが、「熱狂」というのは人を誤らす元です。また、そういう人間が多く存在する世の中というのは極めて不健全な世の中であると思っています。
その青年曰く、「衆をたのんで衆を制する」等というのは愚の骨頂だと。福沢諭吉から採られた言葉です。
「政治的人間」が世の中非常に多い。右か左かを峻拒し、どちらでもなければ「日和見」と蔑むような、そんな感じですかね・・・。
「自分はデモに参加しているから」「日本のことを考えているから」とかいうのは、何の免罪符にもならない。大事なことは、それぞれが職分を全うすること、学生なら学生の本分である学問を先ずすべきでしょう。そんな学生を煽動するのは「大人」の為すことではない・・・。
「修身斉家治国平天下」
その根本たる修身をおろそかにして、一体何ほどの国家を目指そうとしているつもりなのか。僕には理解不能なことです。
理解不能といえば、子どもを虐待する親が増えている事。育児放棄というのなら、自然界でもあるらしいですが、虐待というのは人間固有の現象でしょう。これはまったく理解できない。理解できないことを無理やり理解しようとするから、その原因に育児ノイローゼだとか、いろいろな理屈を持って来る。言葉をみつけると、人間はその言葉に縛られてしまうことを知らない。そして原因があることに安心してしまう・・・。その原因なんぞ単なる推測にしか過ぎないものだし、だからといって虐待を免罪することにはならないのですがね・・・。
「人間」というより、近代の文明人はわかりません。未開部族とかにはそういう事例があるのでしょうか?どうも、近代の文明人特有のことのように思います。
極めて、簡単なことを言いましょう。「本能」の赴くままに無制限に行動できる自由が人間という動物に与えられたらどのようなことを想像しますか?もうめちゃくちゃな世の中になると容易に想像できますね。それでは、本能しか持たない人間以外の動物の世界が、人間と同じようにめちゃくちゃにならないのはなぜですか?
人間以外の動物には本能を抑制する装置があるらしいです。自動抑制装置ともいうべきものが。しかし、人間にはそのような装置はなく、その役割を与えられているのが大脳前頭葉です。これは自主的に働かせなければならないもので、要するに「人」を「人」たらしめているものといえます。
子どもを虐待する親は、この働きがないため、その実態は「人」ではなく、かつ「親」という動物以下のものといえます。
その「抑制」を自ら持つ、自律の精神によって為すことが理想なのでしょうが、そんなことは万人に望むべくもなく、それを社会の習俗、モラル、法律で可能としてきたのが、人間社会ということですね。
「法律に違反してなければ何をしてもいい」
という言葉は、最低の言葉遣いであることがわかりますね。なぜなら、抑制の最後の砦であるからです。一番最高の言葉遣いは「自らの良心にしたがって」でしょう。それが人を人たらしめる根本だからです。
社会福祉局でしたか、児童相談所はもっと強制力を持って警察とともに行動するようにしなければ虐待の防止はできませんよ。
精神的な虐待として、「いじめ」があげられます。先日も小学6年生の女の子が自殺しましたね。何でも給食を一人で食べるほどの孤立感だったとか。それを先生は承知しながらも適切な指導ができなかった。こんなのは、教師の資格なしですな。即刻おやめになるのがよろしい。
この種の事件が起きると、決まって繰り返されるのは最初の記者会見での「いじめの事実は承知してない」というセリフ・・・。教育現場というのは誰も責任をとらない無責任の体系がまかり通っているようですね。「教師とはいいえ、サラリーマンだから」などという、したり顔の言葉もありますが、サラリーマンだって、責任くらいはとりますよ。そういういい加減な物言いはやめにしてほしい。
今日はこれまで
ある青年との出会いをここで書きました。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/11/blog-post_15.html
まーくんと先日会った時、その話をして「僕の知識など足元にも及ばない」と話したところ、彼も驚いていましたが、簡単に言うと僕の知識はあくまでも「新書」レベルなのに対し、彼の知識は「全集」レベルなのです。そんな比喩がぴったりかと思います。
その彼と、昨今の「左」ではない「デモ」についてもいろいろと話をしました。
「これだけ政治的に熱狂できる」人間がいるというのは興味深いと・・・。ただ、つい最近も書きましたが、「熱狂」というのは人を誤らす元です。また、そういう人間が多く存在する世の中というのは極めて不健全な世の中であると思っています。
その青年曰く、「衆をたのんで衆を制する」等というのは愚の骨頂だと。福沢諭吉から採られた言葉です。
「政治的人間」が世の中非常に多い。右か左かを峻拒し、どちらでもなければ「日和見」と蔑むような、そんな感じですかね・・・。
「自分はデモに参加しているから」「日本のことを考えているから」とかいうのは、何の免罪符にもならない。大事なことは、それぞれが職分を全うすること、学生なら学生の本分である学問を先ずすべきでしょう。そんな学生を煽動するのは「大人」の為すことではない・・・。
「修身斉家治国平天下」
その根本たる修身をおろそかにして、一体何ほどの国家を目指そうとしているつもりなのか。僕には理解不能なことです。
理解不能といえば、子どもを虐待する親が増えている事。育児放棄というのなら、自然界でもあるらしいですが、虐待というのは人間固有の現象でしょう。これはまったく理解できない。理解できないことを無理やり理解しようとするから、その原因に育児ノイローゼだとか、いろいろな理屈を持って来る。言葉をみつけると、人間はその言葉に縛られてしまうことを知らない。そして原因があることに安心してしまう・・・。その原因なんぞ単なる推測にしか過ぎないものだし、だからといって虐待を免罪することにはならないのですがね・・・。
「人間」というより、近代の文明人はわかりません。未開部族とかにはそういう事例があるのでしょうか?どうも、近代の文明人特有のことのように思います。
極めて、簡単なことを言いましょう。「本能」の赴くままに無制限に行動できる自由が人間という動物に与えられたらどのようなことを想像しますか?もうめちゃくちゃな世の中になると容易に想像できますね。それでは、本能しか持たない人間以外の動物の世界が、人間と同じようにめちゃくちゃにならないのはなぜですか?
人間以外の動物には本能を抑制する装置があるらしいです。自動抑制装置ともいうべきものが。しかし、人間にはそのような装置はなく、その役割を与えられているのが大脳前頭葉です。これは自主的に働かせなければならないもので、要するに「人」を「人」たらしめているものといえます。
子どもを虐待する親は、この働きがないため、その実態は「人」ではなく、かつ「親」という動物以下のものといえます。
その「抑制」を自ら持つ、自律の精神によって為すことが理想なのでしょうが、そんなことは万人に望むべくもなく、それを社会の習俗、モラル、法律で可能としてきたのが、人間社会ということですね。
「法律に違反してなければ何をしてもいい」
という言葉は、最低の言葉遣いであることがわかりますね。なぜなら、抑制の最後の砦であるからです。一番最高の言葉遣いは「自らの良心にしたがって」でしょう。それが人を人たらしめる根本だからです。
社会福祉局でしたか、児童相談所はもっと強制力を持って警察とともに行動するようにしなければ虐待の防止はできませんよ。
精神的な虐待として、「いじめ」があげられます。先日も小学6年生の女の子が自殺しましたね。何でも給食を一人で食べるほどの孤立感だったとか。それを先生は承知しながらも適切な指導ができなかった。こんなのは、教師の資格なしですな。即刻おやめになるのがよろしい。
この種の事件が起きると、決まって繰り返されるのは最初の記者会見での「いじめの事実は承知してない」というセリフ・・・。教育現場というのは誰も責任をとらない無責任の体系がまかり通っているようですね。「教師とはいいえ、サラリーマンだから」などという、したり顔の言葉もありますが、サラリーマンだって、責任くらいはとりますよ。そういういい加減な物言いはやめにしてほしい。
今日はこれまで
2010年12月3日金曜日
小林秀雄の言葉
度々ここでも取り上げていますが、僕の最も尊敬する著述家「小林秀雄」とはこの人です。彼は「近代日本最高の知性」と評されています。彼の生涯の足跡は、Wikiを参照してください。彼は明治35年に生まれ、昭和58年に亡くなっています。彼は、「批評」という分野を日本で初めて確立した人とも言われ、小林自身は「批評とは無私に至る道」と述べています。
僕が彼を尊敬するに至った理由は、前にここで書いたと思いますが、戦後「一億総懺悔」等と言われた時代に、「私は馬鹿だから反省などしない」と言い放ったことによります。
小林は、「批評」とは何なのかをこんな風にいいます。
「その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね。」
「高みにいて、なんとかかんとかいう言葉はいくらでもありますが、その人の身になってみたら、だいたい言葉がないのです。いったんそこまで行って、なんとかして言葉をみつけるというのが批評なのです。」
彼の文章は、まさしくその通りだと感じられます。無駄なものを一切排除した、硬質なものがあるように感じます。小林は三島由紀夫の衝撃的な死について、「孤独に死を選んだ人間」だから、「孤独にそれを思うのがよい」と言っています。彼のところに「三島先生への哀悼の意を表する大会をやりたいから、発起人になってくれ」という依頼があったのだらしいですが、それを「君らは哀悼の意を表するのに発起人が必要なのかね」と断ったといいます。小林は、「ジャーナリスティックにはどうしても扱ふ事のできない、大変孤独なものが、この事件の本質に在るのです」と言った後、次のように続けます。
「素直な状態でゐれば、誰もそれを感じていると思ふのですよ。だけど余計な考へや言葉が、それを隠して了ふのではないかと考へる。テレヴィでニュースを見てましたらね、佐藤総理の顔が写って、とても正気とは思へないと言ふ。当然でせう。政治家が政治的事件を見てゐるのですからね。すると、今度は林房雄さんの顔が出て来てね。沈んだ面持ちで狂気ではない、何から何まで正気ですといふ事を言ふのだ。私は涙が出て来た。それが、私としては、今度の問題の一切です。何も文学的見方と言ったものなどありはしない。文学者は、なるたけ人間に近付いて見るといふ練習を知らないうちにやってゐるわけなんだ。たださういふ事です。」
余計な講釈は不要ですね。
今日はこれまで。
僕が彼を尊敬するに至った理由は、前にここで書いたと思いますが、戦後「一億総懺悔」等と言われた時代に、「私は馬鹿だから反省などしない」と言い放ったことによります。
小林は、「批評」とは何なのかをこんな風にいいます。
「その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね。」
「高みにいて、なんとかかんとかいう言葉はいくらでもありますが、その人の身になってみたら、だいたい言葉がないのです。いったんそこまで行って、なんとかして言葉をみつけるというのが批評なのです。」
彼の文章は、まさしくその通りだと感じられます。無駄なものを一切排除した、硬質なものがあるように感じます。小林は三島由紀夫の衝撃的な死について、「孤独に死を選んだ人間」だから、「孤独にそれを思うのがよい」と言っています。彼のところに「三島先生への哀悼の意を表する大会をやりたいから、発起人になってくれ」という依頼があったのだらしいですが、それを「君らは哀悼の意を表するのに発起人が必要なのかね」と断ったといいます。小林は、「ジャーナリスティックにはどうしても扱ふ事のできない、大変孤独なものが、この事件の本質に在るのです」と言った後、次のように続けます。
「素直な状態でゐれば、誰もそれを感じていると思ふのですよ。だけど余計な考へや言葉が、それを隠して了ふのではないかと考へる。テレヴィでニュースを見てましたらね、佐藤総理の顔が写って、とても正気とは思へないと言ふ。当然でせう。政治家が政治的事件を見てゐるのですからね。すると、今度は林房雄さんの顔が出て来てね。沈んだ面持ちで狂気ではない、何から何まで正気ですといふ事を言ふのだ。私は涙が出て来た。それが、私としては、今度の問題の一切です。何も文学的見方と言ったものなどありはしない。文学者は、なるたけ人間に近付いて見るといふ練習を知らないうちにやってゐるわけなんだ。たださういふ事です。」
余計な講釈は不要ですね。
今日はこれまで。
2010年12月2日木曜日
再び食糧安全保障 TPPを巡る日常
11月30日の読売新聞朝刊記事から。
経産省「成長の源泉である貿易が農業の犠牲になるなど国賊ものだ」
農水省「TPPなんか問題外だ。農業が壊滅する。拙速は避けコメは守る」
両者の主張は真っ向から対立してます。全国農業協同組合中央会の会長は「開国と農業再生は両立できない」と語気を強め、941町村加盟の全国町村会長は近くTPP反対を決議するらしいです。
農水省の試算によれば、すべての関税を撤廃すれば国内1次産業の生産額は4兆円以上が吹き飛び半減するのだそうです。
逆にTPP不参加ならば「10年後には国内総生産の約2%に相当する10兆円余が失われる」と経産省は反論しています。
農業政策と土地政策は、長らく政権の座にあった自民党の無為無策がなしたものだと断言できます。農業従事人口というのは、今260万人しかいないのだそうですが、しかも今後10年で100万人以上がさらに減るとか・・・。
世の中のいかなる産業も、浮き沈みがあるのが自然であることを考えれば、なぜことさらに「農業」という産業だけを頑なに国が守ろうとするのか。前にも書きましたが、食糧自給率の維持云々を理由にそれを言うことの意味も、この国の貿易がストップしてしまえば、日本国民は食べるものがなくなりますので、それが100%ならまだしも、今のレベルでどうこういうのはおかしいですね。「コメ」だけでは人間は生きられませんし・・・。
純粋に、「カネ」のことだけに限って考えましょう。「食糧安全保障」だとか「稲作は日本の文化」だとか、そういうことは抜きにしてです。
商品の価値は市場が決定します。かつて、散々騒がれた「牛肉自由化」。日本の畜産業は壊滅しましたか?自由化反対論者は「壊滅する」と言っていたのですよ。確かに安い米国、豪州の牛肉が市場に溢れていますが、地元の高級とは言えないスーパーでも、国産牛はきちんと売られています。消費者はただ「安」きに流れるのではないのですよ。牛肉に関していえば、国内生産量は自由化前とほぼ大差なく年間50万トン前後とのこと(読売新聞記事)。
記事には、日本の農産産物の高関税品目の一覧表が出てましたが、一番高いのは1706%の「コンニャクイモ」!!。この数字の根拠と、なぜその品目にその高関税なのかの理由を是非とも知りたいところですね。次いで「エンドウ豆」の1085%。「コメ」の778%がベスト3となっています。
皆さんの家庭でもそうだと思いますが、ただ単に「安い」という理由だけで、消費者がモノを買うとしたら大間違いであり、たとえ値段が高くともそこにそれだけの価値があれば買うわけでしょう。麺にしても、パンにしても、安価な外国産の小麦は今でもあるにもかかわらず、「国内産小麦使用」と明記して、高い値段で売っているじゃないですか。「農業が壊滅する」なんてことは到底考えられないですね。壊滅する恐れがあるのは「農業」ではなく、ある「品目」だと思いますよ、可能性としては。ただ、それも極めて少ないのではないでしょうか。「地場野菜」というのは、ある種の高付加価値商品になっていますし、たとえ、「エンドウ豆」が激安になっても、僕は中国産を買わない・・・。そういう人はたくさんいると思います。
付加価値というのは、商品の差別化を図ることで生れます。一般家庭だけでなく、産業で原料として使う農畜産物も、その原産国明示を義務付けられれば、やはり「国産」ということだけでも立派な差別化になるでしょう。
壊滅するかもしれない品目は「チーズ」が浮かびますね。自由化になったらフランス産のチーズが安く買えるわけですから、僕なんか飛びつきますね。先日のブログではないですが、生産技術の伝統が違いますからね。日本の乳業メーカーがつくるチーズとは比べ物にならない・・・。市場から駆逐されるでしょう。しかし、それが世のならいです。
前にも書きましたが、この国は貿易立国として生きていくしかない以上、「開国」か「鎖国」かと問われれば、「開国」を選択するしかないような気がします。そして、この戦争のない状態と、自由市場を守るためには、「道義」の上に立って世界中のあらゆる事に援助の手を差し伸べる・・・。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/08/blog-post_05.html
同じ島国であるイギリスはどうなっているのでしょうか。あの国の食糧自給率も日本並みに低かったと記憶してます。まぁ、イギリス人はあまり美食家ではありませんので、ジャガイモだけがあればいいのかも知れませんがね。
TPPについては、あくまでも、何の知見も持たない僕の意見です。この件について、新聞報道以上の情報も、書籍等による勉強もしていません。
今日はこれまで。
経産省「成長の源泉である貿易が農業の犠牲になるなど国賊ものだ」
農水省「TPPなんか問題外だ。農業が壊滅する。拙速は避けコメは守る」
両者の主張は真っ向から対立してます。全国農業協同組合中央会の会長は「開国と農業再生は両立できない」と語気を強め、941町村加盟の全国町村会長は近くTPP反対を決議するらしいです。
農水省の試算によれば、すべての関税を撤廃すれば国内1次産業の生産額は4兆円以上が吹き飛び半減するのだそうです。
逆にTPP不参加ならば「10年後には国内総生産の約2%に相当する10兆円余が失われる」と経産省は反論しています。
農業政策と土地政策は、長らく政権の座にあった自民党の無為無策がなしたものだと断言できます。農業従事人口というのは、今260万人しかいないのだそうですが、しかも今後10年で100万人以上がさらに減るとか・・・。
世の中のいかなる産業も、浮き沈みがあるのが自然であることを考えれば、なぜことさらに「農業」という産業だけを頑なに国が守ろうとするのか。前にも書きましたが、食糧自給率の維持云々を理由にそれを言うことの意味も、この国の貿易がストップしてしまえば、日本国民は食べるものがなくなりますので、それが100%ならまだしも、今のレベルでどうこういうのはおかしいですね。「コメ」だけでは人間は生きられませんし・・・。
純粋に、「カネ」のことだけに限って考えましょう。「食糧安全保障」だとか「稲作は日本の文化」だとか、そういうことは抜きにしてです。
商品の価値は市場が決定します。かつて、散々騒がれた「牛肉自由化」。日本の畜産業は壊滅しましたか?自由化反対論者は「壊滅する」と言っていたのですよ。確かに安い米国、豪州の牛肉が市場に溢れていますが、地元の高級とは言えないスーパーでも、国産牛はきちんと売られています。消費者はただ「安」きに流れるのではないのですよ。牛肉に関していえば、国内生産量は自由化前とほぼ大差なく年間50万トン前後とのこと(読売新聞記事)。
記事には、日本の農産産物の高関税品目の一覧表が出てましたが、一番高いのは1706%の「コンニャクイモ」!!。この数字の根拠と、なぜその品目にその高関税なのかの理由を是非とも知りたいところですね。次いで「エンドウ豆」の1085%。「コメ」の778%がベスト3となっています。
皆さんの家庭でもそうだと思いますが、ただ単に「安い」という理由だけで、消費者がモノを買うとしたら大間違いであり、たとえ値段が高くともそこにそれだけの価値があれば買うわけでしょう。麺にしても、パンにしても、安価な外国産の小麦は今でもあるにもかかわらず、「国内産小麦使用」と明記して、高い値段で売っているじゃないですか。「農業が壊滅する」なんてことは到底考えられないですね。壊滅する恐れがあるのは「農業」ではなく、ある「品目」だと思いますよ、可能性としては。ただ、それも極めて少ないのではないでしょうか。「地場野菜」というのは、ある種の高付加価値商品になっていますし、たとえ、「エンドウ豆」が激安になっても、僕は中国産を買わない・・・。そういう人はたくさんいると思います。
付加価値というのは、商品の差別化を図ることで生れます。一般家庭だけでなく、産業で原料として使う農畜産物も、その原産国明示を義務付けられれば、やはり「国産」ということだけでも立派な差別化になるでしょう。
壊滅するかもしれない品目は「チーズ」が浮かびますね。自由化になったらフランス産のチーズが安く買えるわけですから、僕なんか飛びつきますね。先日のブログではないですが、生産技術の伝統が違いますからね。日本の乳業メーカーがつくるチーズとは比べ物にならない・・・。市場から駆逐されるでしょう。しかし、それが世のならいです。
前にも書きましたが、この国は貿易立国として生きていくしかない以上、「開国」か「鎖国」かと問われれば、「開国」を選択するしかないような気がします。そして、この戦争のない状態と、自由市場を守るためには、「道義」の上に立って世界中のあらゆる事に援助の手を差し伸べる・・・。
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/08/blog-post_05.html
同じ島国であるイギリスはどうなっているのでしょうか。あの国の食糧自給率も日本並みに低かったと記憶してます。まぁ、イギリス人はあまり美食家ではありませんので、ジャガイモだけがあればいいのかも知れませんがね。
TPPについては、あくまでも、何の知見も持たない僕の意見です。この件について、新聞報道以上の情報も、書籍等による勉強もしていません。
今日はこれまで。
2010年12月1日水曜日
今日から師走
師も走るほどの慌ただしさ・・・。「師走」とはよく名付けたものです。
1年はあっという間ですねぇ。別に忙しくも何ともないのに、時間は早く過ぎていくものだと発見しました。
先日、国会中継を見てました。あまり気分のよいものではありませんね。なんか弱い者いじめをしているような印象を受けてしまいました。答弁に立つ総理や官房長官をはじめとする各大臣は、支離滅裂で、質問の答えになっていないようなものが非常に目立ちましたし、それを声を荒げて追及する野党議員も、なんか品がないというか、自身は責任を負わない気楽な立場からの強圧的な、一方的な物言いが多かったですね。責められる総理に同情を禁じ得ませんでした。
「政治は賤業である」とは、誰の言葉でしたか忘れましたが、「政治」なんてものは常人には務まるものではないですね。あまり関わり持たない方が良いかと思います。政治というのは、とどのつまり相手を抹殺しなくてはならないもの。しかも厄介な事には、相手の言い分を、価値観を認めると受け入れるといいながら、実はまったく相手のことなど考えないのです。政治なんていうものはそういうものです。
前にも書きましたが、次の総選挙では民主党は大敗するでしょう。その後議席をかろうじて確保した議員にしても、もう二度と質問にたてないのではないかと心配してます。特に大臣経験者はね。だって、あまりにもひどい国の運営でしたからね・・・。
「政治改革」という言葉が流行った時期がありました。もう、熱病のように冒されていました、その言葉に。自民党から新党さきがけや新生党が分裂した頃ですね。大仰な言葉のくせに、その中身は単なる「選挙制度改革」でしか過ぎなかったのですよ。なんでも二大政党制を目指すのだとか・・・。その結末がこのありさまですからね。
その対象がなんであるにせよ、「熱狂」というのは人を、世を狂わせるもとです。僕はこう断言できると思います。
立ち止まる勇気こそが「思慮」のもと・・・。
今日はこれまで。
1年はあっという間ですねぇ。別に忙しくも何ともないのに、時間は早く過ぎていくものだと発見しました。
先日、国会中継を見てました。あまり気分のよいものではありませんね。なんか弱い者いじめをしているような印象を受けてしまいました。答弁に立つ総理や官房長官をはじめとする各大臣は、支離滅裂で、質問の答えになっていないようなものが非常に目立ちましたし、それを声を荒げて追及する野党議員も、なんか品がないというか、自身は責任を負わない気楽な立場からの強圧的な、一方的な物言いが多かったですね。責められる総理に同情を禁じ得ませんでした。
「政治は賤業である」とは、誰の言葉でしたか忘れましたが、「政治」なんてものは常人には務まるものではないですね。あまり関わり持たない方が良いかと思います。政治というのは、とどのつまり相手を抹殺しなくてはならないもの。しかも厄介な事には、相手の言い分を、価値観を認めると受け入れるといいながら、実はまったく相手のことなど考えないのです。政治なんていうものはそういうものです。
前にも書きましたが、次の総選挙では民主党は大敗するでしょう。その後議席をかろうじて確保した議員にしても、もう二度と質問にたてないのではないかと心配してます。特に大臣経験者はね。だって、あまりにもひどい国の運営でしたからね・・・。
「政治改革」という言葉が流行った時期がありました。もう、熱病のように冒されていました、その言葉に。自民党から新党さきがけや新生党が分裂した頃ですね。大仰な言葉のくせに、その中身は単なる「選挙制度改革」でしか過ぎなかったのですよ。なんでも二大政党制を目指すのだとか・・・。その結末がこのありさまですからね。
その対象がなんであるにせよ、「熱狂」というのは人を、世を狂わせるもとです。僕はこう断言できると思います。
立ち止まる勇気こそが「思慮」のもと・・・。
今日はこれまで。
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